gift——まだ帰れない
この世界において私に意味はありません。そして使命もありません。
価値がありません。この世界からして私の存在に意味などひとつもないのです。
そんな私を私は受け入れます。
無の私を受け入れていきます。
そして、私は自分で自分の価値を見つけることが出来ました。
私は世界において価値のない私を認め、そして、私のなかで価値のある私を見つけました。
それは、私を助ける私です。
私のために涙を流し、私の為に苦しみ、私の悲しみに触れ、私に優しい言葉をかけてくれる私は、私のなかで一番に価値のある私です。
この私は、世界において何かの価値や使命を背負っているわけではありません。
なにか大きな偉大なるものに繋がっているわけでもありません。
ただの普通の人間です。しかし、その普通の人間のなかに私は「価値」を見つけました。
それは、私の優しさです。どこにでもあるような、だけれど、どこにもない私の優しさです。
私は人の為に私を捨てました。
その優しさを私はどこにでもあるとも言えないように思います。
そんな優しさをレイキを通して伝えることで、私が私を助けられたように、あなたを助けられたらと思いました。
これが私の霊能開花であり、私のギフトであり、私が私に認めている私の価値です。
そして、この力に何かの意味があるわけではありません。
私の存在は、どこにでも存在している普通の人であり、世界からすればひとつの駒です。
だから、特別な力を持っている人とも言えません。
ただ、私は、ここに私の価値を見つけただけに過ぎません。
私はこれをギフトだと思い、私が見つけた価値です。
それは、私が人生において苦しみ、困っていたからだと思います。
とはいえども、だからといって、あなたを苦しめたいとは思いませんでした。
私は苦しみを全て自分で背負っている人でした。
そして、その苦しみをすべて背負いきったからこそ、私はあなたの苦しみまで背負えるようになりました。
私は、共にありたかったのです。あなたと共にあり、あなたの苦しみを半分背負えるような人になりたかった。
それが私の願いでした。
それは、私があなたの苦しみに共鳴したからです。
そして、それが私の『鍵』でした。あなたの肝臓になりたいと思った気持ちが私の鍵でした。
私の優しさがあなたの苦しみに共鳴し、あなたの優しさが私の孤独に共鳴します。
それが私たちでした。
お互いのパンドラの箱を開けました。なかには無の苦しみと孤独が詰まっていました。
愛しているって言葉が、これ以上に風化することもありません。
私はあなたの無を受け取り、黙秘の肝臓になります。
あなたは私の有を受け取り、二心一体になります。
私たちはそうやって出来上がっています、あなたを愛しているからです。
どうでしょう。これ以上に、悲しいことがありましょうか。
私は孤独です。そして無です。
私はひとりです。そして、私のなかには無が広がっています。
どうにも、私は「人間」になれたような気がするのです。
私はようやく「ひとりの人間」として、この地球に認めれたような気がします。
今まで、どうやって生きてきたのかすら振り返ることが出来ません。
人ではない存在として、死にながら生きる人生を、どのように駆け抜けてきたのかを私は振り返ることが出来ません。
しかし、私は握っているギフトを片手にどうにも悔しい。
私は、人になってしまった。どこまでも、どこまでも、無限に続く、人の姿になってしまった。
どこを目指していたのか。それは多くの人と同じ高みでした。
しかし、私は人になりたかったようなのです。
ギフトを千切る理由は「あなたと同じ人になりたかった」からです。
あなたと同じ人になり、あなたと共に生き、あなたと共にありたかった。
それは優しさでした。
その優しさが実り、私は自分のなかに存在する神を捨てました。
それがギフトです。
あなたと共にありたくて、神である自分の意識を捨てました。
だから私はもう神ではないのです。
あのとき、私に宿ったものは確かに神の意識でした。しかし、私はあなたと共に人であるために、神を切り捨てギフトを生みました。
愛している。それは神である自分ではない。
愛している。それは、私が神であること以上に、あなたのことを愛していました。
そして振り返って悔しい。人とはどうにも矛盾している生き物だとつくづく思う。
どうして、どうして、私は人なのか——。
私はどこまでもどこまでも、あなたと共にあるために人になりました。
それは比較の世界を抜けることでもありました。
私のなかにあった神の意識とは傲慢だったのです。ルシファーという悪魔だったのです。
あなたと共にありたい。その気持ちは、傲慢な気持ちを切り捨てギフトに変えました。
もしかしたら、私のなかにいるルシファーが改心したのかもしれません。
私のなかにある愛に呼応したのかもしれません。
そうだとしても、私はあの世界を恋しいと思います。私が小さな傲慢な神だったときに暮らした、あの世界が恋しい。
何も持たずとも自分が偉かった自分が恋しい。
私は、あなたに傲慢を差し出したかったわけではありません。
私は、あなたにギフトを差し出したかったのです。
彼にギフトを差し出し、苦しみから助けてあげたかった。
それが叶う日はきません。それこそ、傲慢だからです。
そして、そんな日がこないことを願っています。
彼が苦しみのない世界で生きていることを願います。
だから私は、孤独にならない人生を生きねばなりません。
彼が私に出会うことがないように。
お互いのギフトが差し出し合わないように、お互いのギフトが使われないように生きていかなければなりません。
再会など、望まないような人生を選ばなければなりません。
それは私たちのギフトが悲しみから生まれたからです。
私の願いを叶える日がこないことを私は願います。
もし、あなたが無の苦しみを乗り越え、
もし、私が孤独を乗り越え、
もし、そんなときに私たちが独り身であるならば、
そのときは共にありましょう。
私たちはギフトの願いをかなえ合う関係性であってはなりません。
それはあなたのなかに悲しみがあることを認めてしまうからです。
ですが、もし、私たちが相手が持つ課題を終わらせたならば、そのときは共に生きていきたい。
それがいつになるのかはわかりませんが、そのときの私たちはようやく対等になれます。
そのとき、私たちは出会いなおします。
そんな日がいつの日になるのかはわかりません。
しかし、そんな日がやってくることを私は知っています。
それが私たちが切り拓いた運命だからです。
もし、そんな日がくるとき、たくさん泣いて、いっしょに眠りましょう。
あの日の約束を果たしましょう。
毎日、いっしょに死にましょう。毎日、いっしょに生きましょう。
彼への愛は、果てしなく無限であり広大です。
しかし、今生という有限です。
再び会える、その日まで、さようなら。それはあなたと私を愛しているからです。
まだ、私はあなたを忘れられずに会いたい気持ちが込み上げてくる。
だから私はあなたに会えません。
あなただけの私にならず、私だけのあなたである枠組みから外れることができる日まで——。
私たちはお互いの仕事を邪魔してはなりません。どこまでも、私たちは互いのために自立せねばなりません。
誰が為に、そのような生き方しかできない。
そんな不器用な彼を私は愛したのですから、仕方ありません。
そして、そんな自分を誇りに思います。
”まだ帰れない”