チャクラの仕組みを根底から組み替える作業——、ライトワーカーになること。

| Ⓒ なとり

sponsor link
なとりが提供しているサービス一覧

レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

kindleの読み放題Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題


ツインレイ男性が奇数のチャクラでツインレイ女性が偶数のチャクラを担当しているようにも思える。

単純に、奇数と偶数で男性性と女性性を表すことも出来るからなのかもしれない。

  • 第一チャクラ——自我の確立
  • 第二チャクラ——精神的自立(女性のテーマ・母性)
  • 第三チャクラ——反抗期・自立心・現実的自立(男性のテーマ)
  • 第四チャクラ——共感性・自己統合
  • 第五チャクラ——表現力
  • 第六チャクラ——第三の視点(父性)・論理性
  • 第七チャクラ——ワンネス・統合

整理すると、こんな感じかもしれない。

第一チャクラは『自我』という世界のなかで私は私ひとりしか存在しない——という感覚である。

第二チャクラでは『自己』という自分以外の存在を自己として分離させるが、自己が自我と同一化、または反発しているとき、依存が成立する。(同一化している存在がいる時、反発する存在もいる三つ巴構造が成立し、奪い合い構造を生む)

第三チャクラでは『自立』という自我を自己と分離させきり、自分は自分である。自分とはこのようなものである——という社会的なアイデンティティを手に入れる。

第四チャクラでは『自己統合』としているが、自我と自己が分離しきるものを統合させ、自分のなかに存在している他者をすべて共感や同調により統合させていく。自らの中に存在する他者とはすべて自己なのであり、また派生の大元は自我である。

第五チャクラでは『表現力』としているが、この自己統合において『自分』という統合されたアイデンティティが成立することで表現力が生まれる。今までの経験や今までの出来事を踏まえて、自分にしか語れない自分と言うものが生まれることになる。その自分を語ることが第五チャクラでは望まれている。(このブログみたいなもんかな)

第六チャクラでは『第三の視点』としたが、私たちは、自分のふたつの視点である『自我』『自己』という自己が第三者の視点だと思い込みやすい(自己愛性人格)が、もっとも社会的な視点とは俯瞰的な——、一般社会的な視点により成立していることを理解し、受け入れることになる。この視点を『第三の視点』とし、また『父性』とする。そして、社会からみえている自分をより高見に望むことが出来るようになる。「ありたい自分に成る」とは、第六チャクラにて成立することである。

第七チャクラでは『ワンネス』と書いたが、これぞ統合である。私たちは、第六チャクラにて『社会的アイデンティティ』を手に入れ、そのうえで「あなたと私の違い」を認識する。

第一チャクラでは『自我』であり、第七チャクラでは『ワンネス』である。そして、この第一チャクラが『自己実現』になるとき、私たちの第一チャクラは自己と自我は統合されていることになる。いわば、第四チャクラで果たされた自己統合は第一チャクラのことなのである。

この後におよび、チャクラは変容を迎える。

  • 第一チャクラ——自己統合・自己実現
  • 第二チャクラ——精神的自立(個人的アイデンティティ)
  • 第三チャクラ——現実的自立(社会的アイデンティティ)
  • 第四チャクラ——共感性
  • 第五チャクラ——表現力
  • 第六チャクラ——直観力
  • 第七チャクラ——ワンネス

私たちは、第一チャクラを自己実現とし、自己と自我の統合を果たした、あなたの望みと私の望みが一致している事実を生きることになる。それが『現実』なのである。

あなたの望みは私の望みである事実に気づき、その現実を生きる時、私たちは常に自分の望みを叶え続けていくことになるだろう。しかし、依存や反抗を自身のなかに持たない私たちは、自分の望みをかなえる際、他者をも必要としない。誰かを利用し、誰かの感情を必要せずとも、私たちは私たちの願いを叶えることができるのである。

第一チャクラこそが、私たちの自己実現の所在であり、私たち自身のなかに存在する自立は、すべてが望み通りになるための手段に過ぎないのである。

また、第四チャクラを共感力とし、第五を表現力、第六を直観力した。この三つの力は、私たち自身が生きる上で必要なものをすべて兼ね備えている。それは人と共に生きるために必要なものであり、自分自身の身を守り、誰かの身を守るために必要なものなのである。

第七のワンネスと書いたが、これを私は『現実的にそこに存在する他者』として定義したい。

共に泣き、共に笑い、共に生きること。これこそがワンネスだと思いたい。共にありたい。それが第七チャクラの在り方であり、優劣思想に陥ることでもなければ、選民意識に溺れることでもない。

私たちが対等な人間であることを受け入れることが『第七チャクラ』の正常なのではないか——と思う。

もし、第七チャクラが狂っているとき、私たちは優劣に苦しむことになる。優劣とは、誰かが優位で誰かが劣位だと感じることである。そのなかにある霊性に優劣を感じ、その年齢に優劣を感じることである。

しかし、私たちに優劣など存在しないのである。そこに神の霊が入っている人間がいたとしても、それもまた人間であり、年齢がいくつの差があろうが、その年齢差も関係なく『人間』なのである。

いわば、第七チャクラで伝えたいことが私からあるならば、ここにあるものは究極の抽象化なのではないかと言うことだ。そのときの私たちは平等の世界に存在している。

しかし、私たちは平等な世界で、平等な世界に生まれてきたとしても、人の話に耳を貸さなければならない。私たちは『唯一の神』になってはならないのである。

あなたと私は平等ではないのである。あなたと私には平等に同じような経験が与えられているわけではなく、分け隔てなく別々の経験が与えられ、その経験を生きている。いわば、不平等に平等に与えられているものがある。

だからこそ私たちは、相手を『自分と平等』に扱ってはならないのである。

心として平等に扱わず、現実して平等に扱う。これこそが私たちの在り方なのではないだろうか。

 

もし、第八・第九などのチャクラがあるかもしれないが、第八チャクラに存在しているものがレイキだと思われる。皆、この第八のエネルギーに守られ、このエネルギーを受け取ることができる。そして、受け取った暁には、いつだって下のチャクラたちを正常化させることができる。

『正常に戻る手段のスイッチ』を持たされていることに気づいた人たちから、リセットボタンを押すのである。それは、この人生に幕を閉ざすことではない。ただ、終わらせるのである。自分の中にある不毛な人生、不毛な想い、依存。自分が「違う」と思うものを切り捨て、霊としての自立を促す意識が第八チャクラである。

私たちは、この第八チャクラへ信仰を生むきらいがあるが、私自身が思うに、この第八チャクラでさえもを平等に与えられている世界に存在している。

ただ「気づくのか」「使うのか」の違いである。あなたのなかに常に霊感は備わり、霊能は存在している。それを気付き遣う人たちもいるし、生涯、気づかず、使えない人たちもいるし、使わないでも生きていける人たちもいる。

そして、第八とは『偶数』である。女性性である。

また、第七とは『奇数』である。男性性である。

リセットボタンを押すのは女性である。男性ではない。やり直しを命ずるのが女性であり、また自身のなかに存在している女性性である。

これを『生まれ直すこと』だと私は思う。

 

何度だってやり直しすることができる。そのために、リセットボタンを押せばいい。この考え方が間違えていると思う人もいるかもしれない。でも、私は第八チャクラに存在している『リセット』をしてもいいんだと思っている。

レイキをし続けてきて思っていることがある。

人のなかに『悪』はない。絶対的に、人のなかに『悪』は存在せず、人はただより良い人生を自分に与えたいと思っているだけに過ぎないエゴイストである。

そして、それが上手くいかない理由があるのであれば、リセットボタンを押して「自分の正常な状態」に戻してあげることができるのであれば、そうやって大いなる母なる意識のもと、すべてを解除するのもありなんじゃないかって思うんだ。自己実現と言う意識に戻していい。

過去をなかったことにすることはできない。それで「なかったこと」にできるほど、この世は都合よくできているわけじゃない。

でも、未来を変えることはできる。それが第八チャクラには存在している。

それを『光』と呼ぶのではないだろうか。

私たちのなかに存在しているリセットボタン、それが『光』であり、その光を私は受け取り続けているし、その光をレイキで扱っている。

 

だから、私は「未来を変えることができる人」が「ライトワーカー」なんだと思う。

それはリセットボタンを持っている人のこと。

善悪において、望み通りではないものを悪として定義し、何が望みかを明確化させ、喜びの世界へと切り替えていく力を持つ人たちのこと。

私たちすべての人に「光」が備わり、その光に気づいた人たちから、ライトワーカーの道に入る。

ライトワーカー、それは自分の望みに気づき、自分の望みに沿って自己実現をする人たちであり、より自分らしい人生を生きることができる人たちのこと。

それが「何かを行っていること」のようには思わない。

ただ、願えばいい。

「あなた」に出会いたいと願うとき、私たちは自己実現を果たす力を持っている。

あなたの願いと私の願いは同じである。それが自己実現であり、それが現実化したとき、私たちは第零チャクラの力を借りて『現実化』を果たすことになるだろう。

 

人は神を模して造られた。私たちは消して神ではない。しかし、神に模して作られた私たちの力を今、呼び戻すときである。