第二チャクラと現実面(お金)精神面(喜び)による手放し

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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第二チャクラは、丹田であったり、子宮であったり。

私自身が第二チャクラで感じていることは「お腹で息をすることが出来ているのか」です。

お腹で息が出来ている人は、リラックスモードに入れます。でも、お腹で息が出来ていない人は、緊張状態。ゆえに、緊張性便秘だったり、月経前困難症(緊張により月経が遅れるなど)だったりするのかなと思いました。

女性は特に月経から、第二チャクラの調子を見ることも出来るように思います。

この第二チャクラですが、肉体レベルでは子宮や丹田といった『溜める』がテーマのように思います。

しかし、月経では血が流れだすように『溜める』の次には『出す』がやってくる。

月経が早まってしまう人は『溜めるのが下手』で、月経が遅くなってしまう人は『出すのが下手』ってことになりますね。

つまり、第二チャクラでは『溜める』と『出す』の両立が必要なのだなと思いました。このパワーバランスをしっかりととることが大事なのだと思います。

第二チャクラの課題は『豊かさ』にありますが、それぞれ『現実面』と『精神面』の豊かさの違いが存在していると思います。

  • 現実面の豊かさ・・・・・・経済的幸福
  • 精神面の豊かさ・・・・・・精神的幸福

豊かさにも2種類存在し、それを幸福と感じることができるのが第二チャクラです。

第二チャクラでは、収入があって嬉しい! お金があって嬉しい! という現実的な幸福もあれば、あなたがいてくれて嬉しい! いっしょにいられて嬉しい! という精神的な喜びを感じる幸福も存在しています。

どちらにも共通していることは『得られることの幸福』です。

しかし、第二チャクラが正常に働くことがないとき、『奪ったお金』と『奪われたお金』という関係性になります。

  • 正常・・・・・・得られる——与える
  • 不正常・・・・・・奪う——奪われる

私たちは、何かを得る時、誰からか奪わなければならず。何かを与える時、誰からか奪われる感覚を覚えることがあります。このときの第二チャクラは正常に働いていません。不快な思いをすることになるかと思います。

ゆえに、現実面では、

  • 正常・・・・・・収入を得られる——お金を使う
  • 不正常・・・・・・過剰に得る——無駄遣い

というような状態になります。

不正常の状態の現実面が加速すると、過剰に得るとしていますが、ここでは「詐欺をする」「大きな金額を吹っ掛けて儲かる」というような身の程以上の金額を手に入れることを意味します。そして、そうやって手に入れたお金は「無駄遣い」になりますが、同じように「大きな金額を吹っ掛けられて損をする」というような状態になる。

私たちの正常な状態では「収入を得る」は、自分が与えたものにたいしての当然の対価ですが、それ以上の金額を提示すれば、相手に不快感を与えかねません。しかし、低ければいいというわけでもありません。

ここでは『私たちが思う正常な定価』を提供することに意味があります。

精神面では、これを『人間関係』で捉えるといいかと思います。私たちの喜びは人間関係からもたらされているところが大いにあるからです。

  • 正常・・・・・・喜びを得る——喜びを与える
  • 不正常・・・・・・自分だけ嬉しい——不快感

不正常な状態では、自分だけが嬉しく、相手には不快感を与える関係性です。つまり、自分だけがメリットがあるけれど相手にはなにひとつメリットがない関係性を意味しています。

正常な第二チャクラでは、喜びを常に共有し合うことができる関係性を目指しているということ。

 

私たちは、現実面では『お金の循環』を目指し、精神面では『喜びの循環』を目指しています。

しかし、第二チャクラでは「自分だけが良い思いをしている」「不快感を感じる」という問題が生じ、このとき『怒り』を覚えます。第二チャクラに溜まっているものが『怒り』なのか『喜び』なのかでは人それぞれ違います。

第二チャクラに溜まっている怒りが放出され、怒りの根源のカルマや悲しみと向き合うことは、次に喜びを受け入れる為の準備にとりかかるということです。

もちろん、レイキでも「怒りと向き合う」は出来ますので、よかったら、遠隔レイキ受けに来てください(^▽^)/

 

では、正常な第二チャクラでは、どのようになっているのか——ですが。

「お金が得られて嬉しい」ですし「出会いが嬉しい」です。そのとき、あなたも私も嬉しいです。ただ、それだけ。

現実面+
相手にお金を喜んで払うこと。
ここで出し惜しみする心がないこと。

現実面-
相手から頂くお金を喜んでいただくこと。
ここで申し訳ないと思う心がないこと。

精神面+
相手に出会えたことを喜ぶこと。
相手に不足を思う心がないこと。

精神面-
相手と別れることを喜ぶこと。
相手にすがる心がないこと。

これが正常な第二チャクラの状態かな? と思います。

第二チャクラは拡大と縮小です。

お金を出したら減りますが、減ることに苦しみはありません。本当のところで減ったわけではないからです。

出会いがあれば別れもありますが、別れに苦しみはありません。本当のところで別れたわけではないからです。

この『本当のところ』の部分を私たちは理解することがなかなか出来ませんので、第二チャクラの課題が『+』ばかりに目がいき、『-』に目を向けることが出来ません。

ツインレイのお話にも噛んできます。

相手との別れを喜ぶことができること。その別れに意味があり、その別れによりどんなメリットを得られたのかを考える必要性があります。だからこそ、出会いに意味があり、新しい出会いを大切にしていくことが出来、新しい出会いを喜ぶことが出来ます。

つまりは、第二チャクラには『喜び』が重要であり、喜びの真逆には『悲しみ』『怒り』『落胆』『罪悪』などがありますが、私たちは喜びの真逆にも『喜び』を見つけることが出来る存在です。

 

子供の時の第二チャクラには、一方的に与えられる立場にあります。しかし、大人になると与える立場に切り替わっていきます。

子供時代のときの第二チャクラが正常に働いているとき「与えられる」ことになります。しかし、子供時代に与えられることもなく、いらないものを与えられて拒絶したい気持ちが生まれたり、欲しいものを与えられず拒絶された経験があると『もらう』ことが難しくなります。

欲しいものにお金を出すことにためらいがうまれます。

子供のときに多くを奪われた経験(親に奉仕した経験)がある人は『与える』ことができません。与えることが奪われる感覚に囚われるからです。

私たちは、子供のときから「あたえる」「あたえられる」という関係性を育てていきますが、途中で「あたえられない」「うばわれる」という経験から、第二チャクラが閉じていきます。喜びに心を閉ざしていくことになります。

私たちは「ほしいものはほしい」わけですが「ほしくないものはいらない」わけです。しかし、欲しくないものを手に入れてしまい、欲しいものが手に入らないという世界にひっくり返れば突入してしまうこともしばしばあります。

私たちは『与える』『与えられる』というwinwinの関係性のなかに『喜び』を見つけていくことが第二チャクラの課題です。

与える——喜び——与えられる

与えるときも喜びを感じ、与えられるときも喜びを感じます。

拡大するときも喜びがありますが、縮小するときも喜びがあります。

これが『第二チャクラ』であり、縮小したのであれば拡大しますし、拡大したものは縮小します。

しかし、第二チャクラのなかになにが入っているのかにより色々と拡大と縮小が変わっていきます。

悲しみも肥大しますし、怒りも拡大します。過剰に喜び、過剰に悲しみ、過剰に怒ることもあるのです。

 

第二チャクラとは『手放し』に精通するところがあり、縮小を手放しとします。その後、拡大してリターンが存在しています。

私たちは『手放す喜び』を知るとき、それが第二チャクラとなります。そして、次に『得られる喜び』を知るようにプラスとマイナスを行き来しています。

まずは縮小をし手放していくことが、次に拡大をしたとき、手に入れることが出来るようになっていきます。

自分が今、何を喜んで手を放すべきことなのかを考えてみるのもいいかもしれません。そのときのあなたも私も喜びのなかで手放しを行っていきます。

 

つまり「手放しが上手にできない人」とは、第二チャクラの縮小がとても下手ということです。

もっていないと不安だから手放しができません。しかし、縮小したものは拡大して帰ってくるということ。

先ずは呼吸を観察してみるといいです。

呼吸は「息を吸う」と「息を吐く」とありますが、どちらかにバランスが狂っているかもしれません。

そもそも「溜め込んでいる人」は、息が止まっています。なとりのことです。おなかで呼吸をすることがとても下手なのです。

得たものは失います。無駄に多くを得たものが失います。

しかし、得たものを喜んで手放す心があるとき、拡大して返ってくるのです。