ツインレイの課題『第三チャクラの自己の確立による現実化を起こす』
ツインレイ自体は、第三チャクラにあるのかな? と思いました。
第三チャクラについて振り返ってみようと思います。
第三チャクラは鳩尾にあるチャクラです。たいていは『自己の確立』に関わっているところです。
キーワードを一覧として取り上げてみようと思います。
- 自己の確立
- 黄色
- 自己定義
- 象徴:ハート
- 自信を持つ
- 生きる勇気
- 目的
- 自分を敬うこと
- 忍耐
- 14歳~21歳
- 太陽
- 胃腸系
こんな感じでしょかね。このなかで、個人的に重要なキーワードはゴソッと入っているような気がします。
ワンレイと第三チャクラ
ツインレイは『ワンレイとしての確立』が、まず大前提にあります。次に『ツインレイ』です。
ワンレイとは「ひとつの光」ですね。ツインレイは「ふたつの光」です。
ツインレイへの到達の前にはワンレイとなり、ひとつの光へとなったあとと考えるのがベターなようです。
つまり、自分がひとつの光として成立をしていないのに、ふたつの光としてツインレイが並ぶことは出来ないと言うこと。
つまりなんですが、ワンレイが成立するのは第三チャクラなんですよね。
そして、第三チャクラの課題は『個人の確立をしたがゆえに他者といかに関わるのか』という問題があります。
いわゆる、自己の確立をしたら争いが生まれる。争いが生まれる自己の確立は、自己が確立できていないって話です。
ワンレイになれない障害理由
ツインレイに到達する前に、ワンレイとして確立するとは第三チャクラが正常化されることになります。
しかし、ワンレイとして確立することが出来ていない状態とはどのような状態なのか? を第三チャクラが教えてくれている。
- 傲慢になってしまっている
- 選民意識により自分だけが凄い状態
- 被害者意識と加害者意識
- 怒りや攻撃性により他者を加害する
- 恐れによって被害者となる
- 支配と服従
- 他人を支配しようとする
- 臆病さから従順になろうとする(服従による支配)
- 過去への執着
- 自分を自己コントロールする意識の薄れ
というような状態に第三チャクラの異常と言う問題が掲げられています。
これって、私がツインレイの経緯で克服してきた内容なんですよね。
つまり、この精神状態を正常に切り替えていく必要性があった——ということです。
正常な状態とは、
- 傲慢(選民意識)→平等意識
- 被害(恐れ)→忍耐
- 加害(攻撃・怒り)→同情
- 支配→創造
- 服従(依存)→自己の確立
- 執着→自己コントロール
というカタチに切り替えたかなと思います。
バランスが崩れていると、たいていは依存心が生まれ、怒りや共依存状態になるようなんですが、ツインレイの関係性が『共依存』と『怒り』に苛まれたのであれば、それは第三チャクラが異常事態になったということがあげられるかなと思います。
私は、ツインレイのサイレント前に下血していました。胃腸ですね。そして、胃腸炎になりました。第三チャクラの火が燃え盛っている状態になって胃腸炎になった感じです。
このとき、自己コントロールが不能状態になったのを「バキッ」と切り替えました。気合でなんとかなるものなんですが、副人格に分離させてしまったんだと思います。
ツインレイの関係性のなかにある問題をレイキで解除しているとき、第三チャクラのものばかりでした。
基本的には自己を脅かされたことによるトラウマがわんさか入っている感じです。
とはいえど、その状態にしたのは私自身です。意志を持って私は服従に身を起きました。
そうしたら、下血したし胃腸炎にもなった。その理由は私のなかにある『服従による問題』がいっぱい出てきたからにすぎません。
ここに書かれているネガティブな内容として、
- 傲慢(選民意識)
- 被害(恐れ)
- 加害(攻撃・怒り)
- 支配
- 服従(依存)
- 執着
がありますが、これは別に悪と言うわけではありません。悪だと感じられるのは、私たち自身のなかで、まだ善悪の概念が不安定だからにすぎません。
自分は『誰かよりも選ばれたんだ』という選民意識。他者との比較にあります。
自分は『誰かに加害された』『誰かに嫌なことをされた』という被害者意識。他者からの攻撃への恐れです。
自分は『誰かを攻撃した』『誰かに腹を立てている』という加害者意識。他者への攻撃性です。
自分は『誰かを支配する』という他者をコントロールしたい意識。
自分は『誰かに服従する』という他者を上にたて、自己コントロールを放棄する意識。
自分は『誰かに執着をする』という自分以外の誰かに心を奪われる意識。
すべてにおいて『他者』という概念が入ってきています。
これがそもそも大間違いだと言うこと。この他者の概念をすべて自己循環させていくことが第三チャクラの課題だったなと思います。
- 自分は自分を選んだ
- 自分は自分を攻撃した(投影世界の克服)
- 自分は自分に攻撃された(投影世界の克服)
- 自分は自分を支配する
- 自分は自分に服従する
- 自分は自分に執着をする
これが『自己の確立』なんですよね。自己の確立とは「自分で自分を選ぶ」ことであり「自分で自分の人生を歩む」ことにあります。
ツインレイの期間は、自分で自分を選ぶことが出来ませんし、自分で自分の人生を歩むことが出来ません。たいてい、投影世界に突っ込まれて、その後、妄想が始まっては「妄想の彼きゅんとずっと一緒♡」ターンに入り、永遠に自己の確立が成立できません。
妄想のなかのツインレイではなく、ここに存在している自分を選ばなければならないっていう問題が生じているんですよね。
ワンレイって何か? って「常に自分を選び続けていくこと」にあって、これが第三チャクラの課題です。
このワンレイが確立していないとき、他人に振り回されます。
他人の批判が気になり(恐怖)、他人の動向が気になっては批判したり(攻撃)などもあります。
自分で自分の人生を選び続けている人たちにとって、他人の批判は気になりませんし、他人の動向も気になりません。なんなら、私のことも眼中にないはずです。私が何をしていようが、どんな考えをしていようが、正直どうでもいいんです。
隣の家に住んでいる人が今何しているかってどうでもよくないですか? そんな感じです。隣の芝生は青く見えると言いますが、これが自己の確立が不明瞭ということですね。
自己の確立が明確に成立すると——
自己の確立が明確に成立することは、投影世界を終えていくことを意味しています。妄想世界も終わります。
投影世界とは「他者を自分に感じていること」です。他者への批判は、他人が自分だと思っているので批判したくなります。他者からの批判が気になるのは、他者が自分だと思っているから生じるんですね。
他人は他人、自分は自分。この自己の確立が明確に出来ている人たちは、自他分離が明確です。
ツインレイ情報についてでも、私は自他分離をしました。
このチャネリングにより得られている内容に、わざわざ自分を当てはめて考えてみても意味がないよなと思いました。
それは「私は私」だからです。
私がやりたいように、すすむがままに進んできましたが、それでなんでかチャネリング内容と同じような現象が起きています。
それは「私がやりたいようにやった結果、なぜかそうなっていた」だけの話であって、私はリサさんにより降ろされたメッセージに合わせて進んできたわけではありません。
情報についても『自分の考え』なのか。それとも『他者の考え』なのかの分離が生まれていきます。
私たちにとって、他者の考えを学ぶ期間も大事なんですが、自分の考えが明確に成立しているとき、私たちは他者の考えと別の考え方をしていたとしてもかまいません。
それはしっかりと思想の基盤が成立していることを重要視します。それを『勉強』っていうんですよね。
- 14歳~21歳
として第三チャクラとしていますが、この年齢期では『学ぶ』ことを『自分のなかに取り込んだものを自分流に切り替えていくこと』を始めます。これが『自分』なんですよね。
そうしたら『師』とか『祖』に依存していた部分は排除するように向かいます。自分のなかにはもう既に確立しているので、師や祖への依存はいりません。
第三チャクラの自己の確立により『自分の未来を見据える』
第三チャクラで自己の確立が生まれることで、自分が社会でどのように生きていこうか——ってことが明確にビジョン化されます。それを受け取ればいいだけになっています。
第一チャクラと第二チャクラによる課題で解消された内容は『投影世界』や『妄想世界』としていますが、このふたつによる世界観は、私たちの世界をゆがめます。
私たちは自分の未来を「誰かのようになりたい」という理想による同一化が生まれることにより未来を構築していきます。
しかし、ツインレイの多くが「同一化が出来なかった人たち」の多くだと思います。だからツインレイなんていう肩書きを背負うことで同一化を図ろうとしています。
そこには何かしらの他者比較による理想があるんですね。
他者比較とは他者が介入しています。第一チャクラと第二チャクラがトラウマにまみれていると、他者比較に傾倒しやすくなります。
理由は自分であるべき領域のなかに他者が介入しているからです。
それは女性の場合「子宮の中に誰かいるよね?」って話。それがママだったりパパだったりする。
自分のなかにいる第二チャクラのエゴとは他者です。
あなたの子宮の中には誰かいますか。誰かがいるとき、子宮の誰かがあなたと結婚する相手を決めています。
子宮の中の誰かのお眼鏡に叶う相手でなければ、あなたは誰かを好きになれないのです。
その誰かとは、あなたの功績を誰に伝えたいのか――で分かります。
その他者を排除すると、私たちは『独立した存在』になっていきます。
独立した存在になると、私たちは未来を知れます。それがなりたい自分です。
なりたい自分のビジョンは第三チャクラから視ることが出来ます。自己の確立とは「なりたい自分を知ること」に繋がっています。
そして、第三チャクラは「なりたい自分になることを応援している」のであり、そんなあなたを受け入れてくれる人と結ばれていくことを現実的に受け入れていくことになります。
第二チャクラと第三チャクラの違い
第二チャクラでは『性エネルギー』を意味しているとし、私のなかでは『男性性と女性性の融合』を指し示していました。
これは個の領域を抜けず、それまでは男性性をツインレイ男性だと感じていましたが「すべて身に起きていることは自らである」という意志のもと、男性人格を自覚していきます。
これは自分から生まれた人格である——と。
この男性人格を統合していくと、私の場合は男性性は子宮に納まりました。すべてにおいて自分のなかに生じたものが『自分』のことであり、私のなかに存在している男性性と女性性は結婚状態であり、常に結びついている状態となります。
これは自己の領域を抜けません。しかし、この領域で現実性を持っていると感じている人たちは、自分のなかに存在している男性人格を『ツインレイ男性』として感じてエトロマニア化し、投影世界に留まります(第二チャクラの課題——妄想のカレピが出来てしまう「自分はツインレイであることへのこだわり」)。
自分のなかに存在している創造世界を『現実世界』として捉えているとき、妄想世界に留まります。(第一と第七チャクラの課題——創造主と妄想の違いが分からない「宗教へのこだわり」)
第一と第七、第二チャクラはそれぞれ自己の領域に起きていることがさも本当に現実に起きていると誤認します。
第三チャクラになると『社会性』が備わってきて、自己の領域を抜けていきます。現実に存在している他者という概念が生じてくるんですよね。第三チャクラのステージにまで来ると他者から取り込んだエネルギーによる課題がでてきます。ツインレイの相手から取り込んでいるエネルギーがそこにあるんですよね。
第三チャクラは『異性と現実的に結婚すること』を意味していますが、第二チャクラと第一チャクラの課題を終わらせていない時は「自分の男性人格=ツインレイ」の方程式から抜け出せていないので、ツインレイと再会しても男性人格との違いに発狂します。
常に思ってたんと違うので、不満がたまり続けます。そりゃそうです、相手は自分ではないのでコントロールできません。
第三チャクラでは『妄想と投影を終わらせている』という状態で、異性を受け入れることになります。異性とは『自己投影のない異性』です。
自己投影のない異性なので「ありのままの相手」を受け入れていきます。
私の場合は「無価値なる彼(女性性の彼)」であり、彼の場合「価値のある私(男性性の私)」です。
このとき、私のなかで「無価値なる彼(女性性の彼)」が私のなかで『他者概念』として成立していきます。彼のなかで無価値なる彼を受け入れていくと思います。
私の場合は「価値ある私(男性性の私)」を受け入れていくことになりますので、レイキやってますね。自分にチャネリングの能力があるんだなと認めることになりました。
これが『精神』から『社会』へと切り替えていくトリガーともなりました。
第三チャクラには『肉体的な繋がり(肉体的おせっせ)』と『精神的な繋がり(精神的おせっせ)』があるんですよね。
肉体的なつながりは地上のツインレイにより構築できますが、精神的なつながりは楽園のツインレイにより構築されます。ので、楽園のツインレイは「あえない相手」なんですよね。
会えたら精神的な繋がりが構築できないのでネット恋愛になってしまう。それが出来るようになったのは、本当につい最近のことで、ここ数十年でネットを介して『精神的なつながりによる相手』と出会えるようになった。
ツインレイが最近まで出会えなかったのは、ネットがここまで普及していなかったからって話だと思います。
精神的につながりによる相手を第二チャクラによる男性人格として誤認することが『現実』と『精神』の同化現状になります。
どんなに頑張っても第二チャクラは個の領域を抜けません。第三チャクラは常に社会の領域であり、他者が存在しているんですよね。
ですので、ツインレイのまずの課題は『投影世界を終わらせる(他人と自分の混同を止める)』ことであり『妄想世界を終わらせる(宗教を理解する)』ことなのだと思います。
投影世界にどっぷりハマっている人は『ツインレイのサイレント期間中が批判の世界』になると思います。または、ここにいないツインレイの相手を思い続け、相手から愛されていると思い込む人・・・・・・。
理由は批判されている分だけ、自分のなかに投影しているものがあるからです。同じように誰かを批判している数だけ、自分のなかで投影しているものがあるということ。
だからまずは「批判したくなる理由を掘り下げろ」ってことなんですよね。