ツインレイが分裂した単細胞の話(結合された2を導き出す必要性)
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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理論は後半だよ。
私はずっと家族に傷つけられて来たのだが、
彼らこそが傷ついている。
てことに気づいていた。
傷ついているから人を傷つけるしかないんだ。
って、ことが分かっていて、やり返すことも、言い返すことも出来なかった。
傷ついているから人を傷つけている人たちが私の家族で、私は傷ついている人たちを傷つけようだなんて思えなかったのだ。
その部分で、深く洞察があり、理解があり。そして、人を傷つけている人たちを許し、愛してきたのだ。
私がなにか行動を起こせば、誰かが傷つくことを知っていたし、傷つけたくなかった。
それが毒親と呼ばれる人であれども、傷つけたいとは思わなかった。
ひたすら人を傷つけたくないって思って生きてきた。
その分だけ、私は傷つかないでいい分だけ、人が背負う傷を引き受けて傷ついて来たのだ。
これを理解している人が身近には誰もいなかった。
つまり、同じだけの精神活動がある人がいなかった。
繊細とは壊れやすさを示すことがあるけど、繊細とは精神による複雑さを意味するとも思う。
心の網目が多いことが繊細。きめ細かいということ。
きめ細かいがゆえに、感情的な知覚が人よりも多いんだろうなとは思った。
家族は、私が理解できない。
家族に理解できる私であるとき、私は鈍感な姿をしていて、私はその度に傷つく。
でも、家族に理解出来る領域に自分を落として接してきたんだと思う。だから、ドンドン傷ついていく。
これが家族へ適応した私。
家族と共にいることは、私にとって、繊細な自分を蔑ろにされて、傷ついていたとしてもほったらかされているってことだった。
でも、傷ついた自分が消えることもないし、ここにい続けている。そんな私の声を、私しか聞いてあげることが出来ない。
人付き合いとは、そのようなことだった。
私は他人と自分の狭間でがんじがらめになっていた。全振りをしたのは、他者だった。
自分のことならば自分でなんとかすることが出来るけど、他人のことはどうしようもないから。私の手が届かないところにあるから。
人を傷つけて生きるか、自分が傷ついて生きるか。
人を傷つけてしまったら、私にはもうどうしようもない。でも、自分が傷ついているならば、私のことだから、私が自分で何とかすればいい。
と 考えていたので、私が傷つきはするが、周囲の人は誰も傷つかずにすんでいた。
それは私が犠牲になることで、誰も傷つかないっていう構造だったと思う。でも、誰も私が犠牲になっているとは気づかない。
だって、自分よりも綿密に組まれた網目を理解することはないから。ないも同然である。
私はいないのである。他の人からして、私は存在しないも当然であり、傷ついた部分も存在しないも同然である。
だって認識しないのだから。
では、認識しない部分とは何か――である。それが自己分離している部分や深層心理というものだと思った。
多くの人が表層意識は受け取ってるけど、根底にある深層心理は理解しない部分にも理解が及ぶ人がいるのだ。
そして、深層心理など、本来は存在しないものである。
表層意識と深層意識は、分離しているからこそ生まれるもので、人が分離して二元論を持つことがなければ、生まれない。
深層意識は、表層意識の反転である。
否定は肯定で、肯定は否定である。
つまり、自分の中に二軸ある葛藤が深い人は、人の深層にある動機に気づきやすいってことだろうな。
相反する二軸が葛藤を起こしていく状態。
ただ、書いた通り、人に深層心理など存在しない。そこにあるものは裏であるだけ。いわゆる人生のバックグラウンド的なもの。
このバックグラウンドが裏にあればあるだけ、二軸が明確に成立し、人生に葛藤と歪みを多く生み出すメカニズム。
私がすごく繊細なのも、この人生のバックグラウンドが濃いめであり、なんなら、このバックグラウンドがあるからこそ、自分がいかなる人間になるのかを考え、表層を構成している(のもあって、深層心理には近い存在)。
本来、この人生のバックグラウンドに対して、そのまま、同じようなことを繰り返す人もいる。というか、そういう人の方が多い。
が、反面教師にしても真逆にしか転じないので、否定と肯定であれば、肯定、肯定、否定となるだけ。問題の先延ばしへの成功。
大事なのはそこに「第三の要因」が絡むかどうかなのだと思う。
自分はどのような人間になりたいのかという親の真逆を選ぶのではなく、自分自身のみによる視点によって得られる自分になろうとすることなのかなと思った。
エゴイズムにはなりたくないと私は思っていたが、最後にはエゴイズムを肯定する私は、結局のところ、一周回ってワン! である。
否定は必ず肯定に回るから、これは真実なる第三の要因には程遠いのだろうなと思った。(最中には何が真実かなんてわかってないし、それが正解だと思ってるし)
結局、二元論からの脱却が出来ていなかったけれど、一周回れば、否定と肯定による二軸が構成され、私は自分軸を構築しているのも事実。(これが青年期なんだろう)
つまりなんだが、繊細さとは、この二元論者であるがゆえに、自分の中で二軸が人生で構成されているがゆえなのではないかと思うんだ。
大抵は、深層心理がそのまま反転して表層になり、深層心理がなかったことにされることもしばしば。このとき、深層心理にあるものは表層意識へ反転しただけだから、「ただの1」でしかないと思う。真逆ではあるけれど、1を表と裏に利用しているに過ぎないから。表と裏があるのが多数大勢。
傷ついた記憶は無いけど、人を傷つけている自覚もない。言っちゃ悪いが単細胞スタイル。
自分が傷ついたことを思い出す必要性がある。早熟に大人になるが単細胞。
深層心理を残したまま、反転させて表層と深層で善悪二元論的な天邪鬼になるとき、ようやく「分離した2」である。しかし、この時の深層に気づくこともなければ、自分と他人という比較で苦しむことになる。傷ついた記憶もあるし、人を傷つけることも厭わないってイメージ。
単細胞ではないけど、自己分離によって苦しみ続けている人たち。他人と自分を比較したり嫉妬したりしながら過ごしてる。善悪で人をさばいてみたりとか。
自分が何やってんのかについて自覚するべき。自分がやられたことを他人にやり返してる。
適当なタイミングで大人になるが心の恥を知らない単細胞。
深層心理に気づき、表層意識が真逆になってしまうことにも気づいている人たちもいて、これが「3」を構成する。第三の要因として「自分はどうありたいか」を考え、表と裏でもない自分を目指していくスタイル。(ギフテッドと呼ばれる)
思考が伴わなければならないし、考え続けなければならない。裏でもなければ表でもない第三の自分を表層として成立させていく。
二元論の裏――二元論の表――表
二元論により構築された部分を「自律」する。
大人になることがなかなか難しい人たち。自分を知能で構築していくがゆえに賢いと言われている一筋縄ではない分裂した単細胞。
自分で自分を成立させることになるから、とりま、ひとりで全部やらなきゃいけない。
ツインレイ。少なからず私が知っているツインレイ。
第三の要因による自分を構築して表を構築しきることにより、裏が成立する。
裏――二元論の裏――二元論の表――表
この裏と表がツインレイである。この場合、知能によって「なりたい自分になろうと葛藤しまくる」という能動的な努力がある。(つまり無意識になりたい自分になることは有り得ない)
しかし、この場合、努力によって構築された表からすれば裏はもはや未知数である。その未知であるからこそ、ツインレイが何者なのかがわからない。
ただ、それが努力によって構築されたものであることには違いなく、私たちはズルズルと二元論の表と裏へ引きずり込まれ、単細胞に成り下がる。
その際に、二元論による表裏は手をつけずに分離したままであるがゆえに(なりたい自分に努力しているが、代わりに自分の中の問題がないがしろ状態)、お互いに善悪二元論的な関係性へと落ち着く。
この際に、単細胞の課題を終わらせていくと、家族の関係性による課題を終わらせていくことが出来る。(細胞の連結がおこり、善悪二元論の消失)このとき「結合された2」が成立する。単細胞のテーマの収束。
次に、新しく作った単細胞が残っている。表と裏である。
裏――結合された2――表
これにて、表と裏が接続されるようになるが、このとき、ようやくお互いには共通点があることに気づいていく。
二元論が結合された2へと変化したので、表は裏に通じ、裏は表に通じているというのだ。
それまでのツインレイは、お互いの共通点や同じ部分をひとつも見つけることが出来ない。理由は、分離した2であるがゆえに二元論に縛られている為である。
これにて、私たちはまるで折り合いをつけることの無い存在と折り合いをつけられるようになる。
結合された2に気づく表と裏になる為である。
まるで折り合いをつけることの無い2とは男女である。どちらかがどちらかに合わせるのではなく、共通点を認識することで合わせる必要性がなくなる。
では、結合された2とはなにか――。「どちらも人間」というところにある。
どちらも人間でありながら、性別が表裏となって産まれてくる。そして、二元論による比較によって優劣等の問題が生じることになる。
では、男女に優劣は存在するのか。
これを甲乙つけがたしとするのかなと思いました。
なぜならば、表と裏を繋げることにより陰陽(甲乙)だから。
でも単細胞だから、ありとあらゆる形で比較によって差があると認識する。だって単細胞だから1しか考えられない。甲乙つけがたしとは、両者への深い理解によって導き出される為、単細胞には無理やねん。単細胞には( ຶ- ຶ)残念だけど。
どっちがいいとか、どっちが悪いとか。そんなの何も無い。
表と裏で、性質はちがえど、表が裏につながり、裏が表に繋がるとき、私たちは通じ合えるものがあるから。
そして善悪二元論とした分離した2。これが表層意識と深層心理を意味するが、意識はひとつである。これが結合した2である。
では、ツインレイを結ぶものとはなにか。
結合された2である。
これは、深層心理と表層意識の一致である。そのとき、ツインレイは、男女は通じあっている。
このときの私たちは単細胞である。複雑でない。
で、結合された2が私の場合、冒頭の通り、エゴイズム=博愛っていうところにある。
みんな違う分離していると思うが、彼と私はエゴイズムと博愛の二元論により結びつき、表と裏を結合された人たち。
ツインレイに必要なもの。
肯定と否定により構築された善悪思想の一致。
第三の要因となる自分を構築を互いに構築しきっている。