私は未だに彼に期待をしている。
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さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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私は友達に一方的に傷つけられて「醒めた」わけなんだが、私は散々彼の前で「醒めるだろうな」ってことをし続けてきたんだろうなとも思った。
「なるほど、その程度の存在だったんだな」と私は相手の気持ちを知ってしまうと醒めてしまうらしかった。
なんなら「なるほど、この人にとって私ではなくてもいいんだろうな」と思うと、告白だって断ってきた人である。もし、付き合っている最中であっても、そのように思うことがあれば別れただろう。
いわば「私がその程度」または「私ではなくてもいい」ことがわかれば、私は「醒める」のである。
しかし、なんでか「彼は醒めたわけではないんだろうな」と思った。
私のなかで「友達に醒めた」のは、別にメンヘラな彼女が嫌だとか。傷つけられたことが嫌だというわけではない。
自分を傷つけてくる人が嫌だとか、そういうことでもない。
ぶっちゃけ生きてりゃ、人を傷つけることもある。そして、人を大事に出来なかったりすることもある。
傷つけてしまっても、それは仕方がないことがある。人にはいろんな人生があるし、どこかに自分の傷があって、反射的に自分を守ってしまうことも仕方ないと思う。
でも「縁を切ってもいい相手」だと思われたことが一番に大きなショックだった。それが己自身のための、身の保身のための縁切りが一番にショックだった。
だからこそ、私は「醒めてしまった」のである。
しかし、私は彼と縁を切りたいなんて思ったことはない。切ってもいい相手とも思ったことはない。
なんで最後に縁を切ったのかって言えば、ただ「愛していたから」って理由がある。それは彼にとって今の私は邪魔だと思ったし、なんなら私は当時メンヘラだった。正直、こんな状態で一緒にいても共倒れになるだけ。
それは避けるべきであり「いっしょにいたいから」ってだけの動機で、いっしょに共倒れして死ぬのはよろしくないと思った。
どんなにいっしょにいたくても、決断しなければならないことがあった。
自分の身の保身を考えれば、彼といっしょに地獄に落ちることを選んだ。でも、彼をいっしょに地獄に引きずり落とすことなんて私には出来なかった。
誰かと共に生きるとき、私たちは必ず誰かを良からぬところで傷つけてしまうことがある。私はそれが悪いことだとは思っていない。
傷がそこにあることが悪だとは思わない。傷のない人間なんて存在しないからである。
でも、身の保身があれば、自分を傷つけてくる人を排除することがあるんだろう。それは自分を傷つけてくる人が意図して傷つけてきていると思うからである。
しかし、私たちが善良な人間であれば、意図して相手を傷つけようとすることはない。そう世界が見えているのであれば、あなたの世界は被害者意識により構成されている。
この世の人たちは、実際はもっと善良である。ごく一部の人種を覗き、私たちは共存を尊ぶ人類である。弱肉強食を我等同種のなかで行いたいとは思っていない人族である。
そのごく一部の存在により、私たちは意図して傷つけられることがしばしばあったこともある。かくいう私は、そういう人生であり、それを支配的に行うことも出来る。
私は彼に対して「その程度の人だと思われていた」とも思わないし「私じゃなくてもいい」とも思っていない。私は彼に対して「醒めている」わけではないのである。
また、彼がどのように審判をしているのかは分かりかねるが、私が、その程度だから縁を切ったとか、彼じゃなくてもいいだなんて感じていないのではないかと思った。逆である。
私は、その程度ではないから縁を切ったのである。そして、彼がいいから縁を切ったのである。
私は私のなかに、未だに彼に醒めていない想いがあるんだなと思った。
これが彼への私が持つ『大いなる期待』なのである。
彼にとって、私がその程度ではなく、私でなければならないと思っているだろうという自負があり、私が彼への期待が私を前に一歩進ませるのを躊躇させている。
しかし、これは私の話である。彼がその程度ではなくて、彼がいいと思っているのが「私」なのである。
私の未だに醒めることがない思いが、期待を生み、私は彼を待っているんだと思った。
私は彼のことが「どうでもいい」にならないのである。
どうがんばっても「どうでもいい」にたどり着かない。
醒めやらぬこの想い。
「醒める人格」を手にいれども、醒めることがない思いを、なんと言葉で表現するんだろう。