なとり、選民しまする。輪廻を抜ける為には『繰り返している自覚』だなと思った。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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私は私を大切にしてくれる人を大切にしたいけれど、
大切にしてくれない人は大切にしたくありませぬ。
選民いたしまする。
神に選ばれるのではありませぬ。なとりが人を選びまする。
選民して、なとりが選んだ人の念願を聞き届けまする。
その人たちの願いを叶えて、生きていくことが私の幸福につながっていまする。
なとりは傲慢なので、なとりが絶対的な君主になりまする。
独裁政権にする。
なとりがダメって思えば、ダメ。
この世にはいろんな人がいる。
その人たちのなかで、
犠牲を作らないようにしながら生きている心優しい人たちは、
自分の願いを叶えることがクッソ下手。
理由は、他人を利用することが出来ないからである。
願いは他者を洗脳することで叶えられたりもするわけなんだが、
うまく支配がでいない人たちは、
たいてい願いなんて叶えられないような人生を送っている。
いつかの私である。
だからこそ、犠牲を作らない心優しい人たちを私は見抜きまする。
そして、その人たちの念願を叶えたいと思いまする。
私は支配しまする。
私は私を支配して、その人たちの願いを叶えるように切り替えまする。
ホントの意味で幸せな人は「自分が犠牲を作っていることに気づいていない人」だけ。
自分が何しているのかを理解していない人が幸せ。
でも、自分が何してて何言ってんのかを理解した人っていうのは、何もできなくなっちゃう。
気づきは、自分への恐れ。自分の中にある狂気に気づいてしまうこと。
でも、もし、気づいたならば、もういいんじゃない。そう思うよ。
どっちの気持ちもわかったならば、もうそれでいいよ。
許すとか、許さないとか。そういうのに囚われてるときって、
案外「どっちもわかったから、それでいいんだ」ってことが受け入れられてないだけなのかも。
支配も犠牲も理解したならば、どっちの気持ちもわかったなら、それでいいんじゃない。
わかってないなら勉強しなきゃいけないとは思うけれども。
いつまでも同じ勉強してても意味なくない?
終わったお勉強を続ける必要性はないから「わかったこと」を理解する必要性がある。
テストで100点とったら、もう次に同じテストを受ける必要性はないよ。もうわかってんだから。
だからもう「わかったからもういいんだ」って自覚する必要性がある。
「わかっている、やれている、できている」ってこと。これは能力の話じゃない、経験の話である。
経験でわかっている、経験でやっている、経験でできている。であるならば、もうそれをやり続ける必要性はない。
だけれど、いつまでたっても同じテストを受け続けている人もいる。
経験に対しての理解がないからなのかもしれない。
たいてい能力で「わかっている、やれている、できている」になると、人って傲慢になる。
傲慢になると、経験でわかっていない人たちだなと思う。真逆の立場がわかっていない、だから傲慢になった有頂天はそのうち落とされる。真逆の立場にたたされてやらされるわけである。これが来世だったりもした。
でも、3回目には意味がないのに、3回目をやってたりもする。
え、もうそれよくない? ってことも多い。
ぶっちゃけ、それには意味がない。2回目で「やられて」をやってたら、双方のことはわかるはず。
2回目で自己統合ができるはず。でも、3回目チャレンジ組がすごく多い気がしている。それ、2回目のテストで満点の支配をやってどうするの。次に満点の犠牲をやるの? え、それ、意味あるの・・・・・・? 辛いだけでしょ・・・・・・。
何度も同じ人生を送ってもどうしようもないよ。
何度も同じことをやり続けているから、逆にこの世から不幸が減らない。ある一定の不幸があり続け増加中。
それは「勉強が終わっていることに気づかないから」である。
これはなにかっていうと、過去の反芻のこと。
私はたいていなんか嫌なことされたら「自分がなんかどこかでやらかしたんだろうな」と思って水に流すことも多い。それでも「やりすぎ」をやる人は、来世で「やられる側」に回るとき、同じように自分がやったことがやり返させる。
つまり、過剰にやると過剰に返ってくる。どんどん肥大化していく。
つまり「意味がない人生」がある。それが過去にやったことを何度も繰り返しているだけの人生。
今の何かしらの戦争も意味がないかもいね。だって、過去にやったことを繰り返してるだけ。
歴史は繰り返される・・・・・・だっけ? 歴史から何も学ばないって意味だよな。
今回の選挙で15年前の再来とならなくてよかったよ。
自分の人生も歴史だと思う。歴史は繰り返される。繰り返してみて、双方がわかったならば、それで勉強はおしまいでいいんだよ。そこに許すとか許さないとか、キリストさんの話が出てくるけど、関係ねえわ。慈悲すらいらないよ。
在る種、意味がない。一時的には救われても、長期的な意味では一瞬で終わる救い。
許すとか許さないとか以前に「自分がやったことがやり返されたことに腹が立つ」だけで、結局、無知だった自分が昔にいただけ。許せないのは自分のこと。自分を許しても、誰かを許せても、それでも腹が立つもんだなと思ったよ。
だからこそ「繰り返している自覚」が必要だと思った。
もうどっちも分かった。これが私には足りてなかった。
輪廻は繰り返されているわけだけれど、そら、繰り返されている自覚が芽生えなければ、解脱なんか不可能だよな。
仕組みとか、そういうものはわかっていた。それぐらいの洞察はある。
でも繰り返されている自覚は別物だった。
自覚がないんだよ、私たちには。輪廻している自覚が。
その自覚は「わかっている」という知能的なものではない。
もっと確かなもので自覚しきる必要性がある。
繰り返している自覚があれば慈悲も許しも必要がない。救いの神など必要がない。
自分からこの世の輪廻から抜け出せていける。