ツインレイの愛を想いだして——

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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思い出しました。人格が統合されたからかな? 思い出しました。

出会ったときから、彼が私を愛してくれていたこと。それを思い出しました。

そして、最後に私の自己犠牲に「ごめんね」と言ってくれたこと。

私は彼に報われていたこと。

 

彼と出会い、私はそこに心があることに安心を覚えました。

だからこそ、私の抱えている精神的な問題が噴出をしまくったのだと思います。

今は、彼とうまくいかなくって当然だなと思います。

そして、彼との離別も自分のなかで納得があります。

それは、彼がどんな気持ちだとか、そういうことじゃなくて「それでよかったのだ」ということを受け止められる。

あのままいっしょにいたとしても、どうしようもなかっただろうなと思ったので、彼と離別したことは、最善だったと今ならば思えます。

だから、そこにどのような動機や思いや、どんなものがあったとしても、離別と言う事実を受け入れることができる。

離別を受け入れられないでいるからこそ、動機や思いについて想い馳せてしまうけれど、事実として離別を受け入れることが出来れば、特に問題があることのように思えません。

 

彼と出会えて本当によかったです。

彼と出会い、私は人生で初めて、他者に対して安心を覚えました。

だからこそ、結婚したいと思ったのだと思います。

自分のなかの人格たちが統合され、それぞれの意見がありました。

その意見も大事ですし、だけれど、統合されたならば、それは「私の意見」です。

私の欠片たちの意見もあるけれど、総合的に私自身が思うこと。

それは、彼のなかに私自身が心を認め、その心があることに安心を覚えたからこその出来事がありました。

私は、彼と出会い、愛の循環をあのときに出来ていたと思います。

それは、徐々にうまくいかなくなりました。私たちには影があったからです。抱えきれていない過去があったからです。

それが上手に働かず、私たちはうまくいきませんでした。

それでも、うまくいかないだけの理由があったと思うし、その理由はもうないのだと思います。

彼とはうまくいかなかった。タイミングが悪かったと思います。

もし、時期がホントに『今』だったならば、違った結果になったんじゃないかって思うんだ。

そして、今日はまだお腹が痛くて怒りとか向き合っているんだけれど・・・・・・。

でも、そんなたらればを語ってたって仕方ない。後悔したって仕方ない。

私はただ感じることにします。

今、彼もまた同じように、この地球の時間を過ごしている。私たちが一貫して共有して所有している時間を同じように生きていることを、ただ感じます。

それだけで、なんだか救われたような気がするんです。上手くいかなかったことも、全部、救われるような気がする。

ホントはすごく悔しい思いでいっぱいです。

ホントは、最初の出会いから、うまくいくほどの関係性になれるような人格だったならば? きっと今は隣で笑い合えていたんじゃないかって思わなくもないんだ。

でも、もし、最初の出会いが、私たちのトラウマの一致によって出会わされていたのであれば。

きっと私たちは出会うことすらなかったのでしょう。

だからこそ、私は彼との出会いが私の過去のすべてを肯定してくれているような感覚になるのです。

彼と出会うために私は私の人生を生きてきたのだと、そう思いたくなるような出会いでした。

この出会いこそ、私の苦しみからすべてを救ってくれるのだと信じてやまないあの日の私の直感はあたっていました。

確かに、この出会いが私を救い、私を取り戻すことに成功しました。

 

彼との出会いに感謝があります。

彼がこの世に存在してくれていたこと。

彼の存在そのものが私を救ってくれたこと。

これこそが私のなかにある真実であり、それは『心』だと思います。

彼のなかに「心がない」と私の記憶のなかにありましたが、

統合された私の意識のなかで、彼には良心がありました。

たしかに彼は合理的に考えることが多い人だとは思いますが、彼にはしっかりと良心があり、人のために心を痛めることができる人でした。もちろん、間違えてしまうこともあったけどね。

そんな人を私が好きになり、結婚をしたいって思えたこと。

それこそ、よき思い出が出来たのかな? と思います。

これからのことはわかりません。

ツインレイで語られているような再会や統合などがありますが、それに私自身が当てはめることができるのかがわかりません。

そして、記事で書いている『確信』なども今はありません。

それでいいと思いました。

先のことはわかりませんし、無駄に期待するのもおかしいかなと思いました。

期待してないです。なんか、期待しなくていいと思いました。

今、十二分に幸福であることに気づいてしまったからかな? と思います。

 

今回、欲とか、期待とか。独占欲とか、嫉妬とかね。

子供のときに満たされることがなかったものが満たされる期間をいただきました。

私は、子供の時から「大人」だったと思います。

しかし、子供の時から大人であることを『神さま』と呼ぶのかな? とも思いました。

大人以上に子供が大人であることがあります。それが神により近いものかな? と。

そして、神さまとして子供が生まれると大人になることを『人になる』になるのだと思います。

子供は大人になりますが、神さまは人になるのだと思います。

それを『人間性』と呼んだり『悟り』と呼ぶのかもしれません。

肉体レベルの話ではなく、精神レベルの話です。

肉体が大人になることと、精神が大人になることは別の話なのだと思います。

そして、精神が大人になることは「神が人になること」であり、これを神人って呼ぶのだとも思いました。

私は、彼に出会い、精神的に大人にしてもらいました。

神さまだったんです、私。子供だったんです、心がまだ未熟でした。

でも、大人になった今、私は自分が神さまだったことを受け入れ、人である自分も受け入れています。

この過程で悟りと呼ばれる経緯を経たんだと思います。

だから、やっぱり私は『大人』になったんだと思います。

それは、精神的に大人になること、心の判断能力を持つことだったような気がしました。心にも社会性があります、これが人間性です。心の在り方に『成熟』と『未熟』は存在していると思います。

 

彼から愛された経験は、私のなかで大きな出来事でした。

でも、その出来事に甘えてはならないし、再び愛されたいと、あのときにすがってもならない。

前を向いて生きていかねばなりません。

振り返りたい日もあるかもしれません。そんな日があってもいいと思います。

だけれど、今度は、私が誰かを愛し育てていく機会が私に巡ってきます。今度は私が誰かに与えていくのだと思います。

だからこそ、私は振り返ってはならないのだと思います。

過去に彼がいます。振り返ればいつだって彼がいてくれることが、ずっと私の励みになります。

愛された経験は、ずっと私のなかで生き続けていきます。

だから「あのときは愛してくれてありがとう」って、もし、彼に出会うことがあれば言いたいなと思います(o^―^o)ニコ

それが私の『生きる』に直結しているからです。

 

彼はとても愛情深い人でした。とても優しい人でした。

私の知っている彼を、ようやく見つけることが出来ました。

ずっと彼がどんな人だったのかがわかりませんでした。記憶と人格がバラバラになっていたからだと思います。

ようやく見つけることが出来ました、本当の彼を。

だから、ようやく彼にいえます。

愛してくれてありがとう、優しくしてくれてありがとう。