確かに、これがツインレイの統合だといえば、そうかもしれない(神——人)

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さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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昨日は、沖縄のノロだったことの前世の記憶を取り戻したんだけど、今日になって、いや、小さな神さまもなとちゃやで・・・・・ってなってて。いや、まってよ・・・・・。同じシーンでなんでなとちゃがふたり存在してるのよ、在りえないよ・・・・・・とか思いながら散歩して考えていたんだけど。
つまり、まとめてみると、沖縄のノロの記憶を拒絶していた理由は「本当は私の記憶ではないから」であり、私自身は「沖縄の小さな神さま」だったと思われる。
小さな神さまであることはすんなり受け入れられたというか「神さまでもいいんだ・・・・、神さまでも幸せになってもいいんだ。」ってことを受け入れてからは、ちょっとルンルンぐらいの感覚だった。
同時進行的に「沖縄のノロ」だったことを受け入れる時には拒絶が働いた。なぜならば、これは彼くんのことだから。
前世の彼くん=沖縄のノロ
前世のなとちゃ=彼くんについてた小さな神さま
ってことだと思われる。
ちなみに神さまっていっても、そんなにレベル高い神さんじゃないよ。ひとりにくっついているだけの小さい神さん。
何やってたのっていうと、何もやってないよ。彼くんのそばにいてストーカーのように見てたし、同じように感じていたから、今生で彼くんが経験したものを同じように私が肉体を持って経験している。
彼くんと私で神かかりをやろうとしていたんだけど、出来なかったんだと思われる。理由なんだが、私が自分のなかにある『人』の意識を受け入れられなかったし、彼くんもまた彼くんのなかにある『神』の意識を受け入れられなかったから。
いや、そもそも最初からは出来ないものなのかもしれない。
神かかり状態って、人の器を神を受け入れられるだけの器に育てることに意味があるんだが、プラスアルファー神との分離経験がないと神かかりにはならないのかな、と。
私が今生は、彼くんがノロだったときに何していたのか——をすべて私が体験している。
前世の彼くん=今生の私
という状態になっている。この方程式が成立して出会いが生じた。前世の彼と現世の私がすれ違った。
私がやらなきゃいけないのは、小さな神さまを私に受肉させること。これはたぶんできているハズ。このタイミングで。
これが私のなかで成立した、人間の私と霊体の私を繋げる作業。
次に、私は前世の彼くんの記憶を受け入れることになっている。これが『ツインレイの統合だ』というのであれば、たしかにそのような気もする。
でも、自分の記憶じゃないから拒絶がはいるんだけれど、統合状態になるってことは彼くんの記憶を受け入れることであって、私のなかで前世の記憶が「彼くんサイド」と「神さまサイド」の両軸が成立したことになる。
統合するときって拒絶→統合なんだと思う。なぜならば、相手の存在は自分ではないから。自分ではないものを自分だと言うのには先ずは拒絶するんだと思う。そら、自分じゃないモン・・・・・・。(逆転の世界では、自分の感情を拒絶して相手の感情だと思い込むっていう世界観)
で、この統合のメリットは何か。・・・・・・? よくわからない・・・・・・。確かに神かかりになる準備は整った・・・・・のかな。人に神かかりすることができる霊体を構築することは出来た。でも、この後、彼くんに私が神かかりするためには、私は一回死なんといけんのよな。だから「神さまになりたくない、死にたくない」って駄々をこねていたのだと思われる。
死なないでいいよってことになっている。
私のなかにいる小さな神さまと彼くんと統合した魂は、人を受け入れることが出来るようになる。
彼くんのなかにいる魂は、神を受け入れることが出来るようになる。
現世は、どちらも人である。
ゆっちゃァ、なんだが。
前世は統合されたかもしれない。
けれど、現世は繋がっていない。