悪とは、どこからやってくるのか。
レイキやチャネリングにご興味がある方、お気軽にどうぞ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
kindleの読み放題『Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題
悪があって、つぎに善があるんかなと思いました。だから悪がなければ善もないってことだな。
では、悪とはどこからやってくるのか。
それは過去だなと思いました。
過去の嫌悪感があった、次に、それが悪となる。
最近、時間なんてものはないんだよっていう物理学の話を書いたんだけれども。これこれ。
過去とは『想い』があるだけ。そして『関係性』があるだけ。
嫌悪感が悪の概念を生み出し、また、関係性が悪人を生み出す。つまり、この経験を癒していけば、善悪の概念はなくなるのかなーと思いました。
人は悪とか闇とかはテンプレ的にしか動かないんだけれど、その理由も、悪の同化にあるのかなと思った。
自分が嫌悪感を感じたから、同じように相手に嫌悪感を与える。他にも、自分が悪いって分かってたら、自分が善のように動き、制裁が起きる。
こうなってくると、前者は悪の同化、後者は善の同化を起こす感じ。一方に偏るから善悪が揃っているイメージ。そこに面白みがないから詰まらない、勝敗がつかない。
善悪の概念を持つ世界で面白さを貫く人達は善悪に飲まれないんだとは思う。
いわば、悪とは過去に生じた経験により生まれているだけで、そのうえで人は善であり続けているんだなと理解した。
善もなければ悪もないわけではなくて、過去により生じた快不快による自己判断によって善悪が生じているわけである。
で、ここから社会悪についてだが、ちょっと気になって酒鬼薔薇聖斗の絶歌っていう本のレビューを読んでたんだけれどね。(レビューでは色々な方の書評レベルのものがあって、それが面白いんだよね)
まァ殺人事件の中でも異常性があるってことで、よく取り沙汰される内容だと思われる。
ここで『なぜ、人を殺してはならないのかの答えはまだわからない』って書かれているらしいものを発見。でも、やったらいけないことだとは当人も理解したわけである。
殺人の是非について私もワカラン。はっきり言って、じゃァ、この答え持ってる人間は、この世にはいないと思っている。
殺人が悪ならば、なぜ、戦争が世界で容認されているのか。もし、今現時点でプーチン大統領を射殺しようもんならば、ある種、その人は英雄とも呼ばれる可能性だってあるこの現状。
つまり、答えがないわけである。殺人したらいいかどうかの人間的正解はない。ないもんはない。
これは時代の中にある善悪の概念ってだけ。いわば、酒鬼薔薇くんは最後に『絶対にしたらいけない』と書いているらしいが、これが、社会性である。
前にも書いたかもしれんが、大麻がどんなにいいもので身体に悪くないって話があったとして、それが事実だったとしても、日本人は大麻やったらいけないのよ。そういうルールだから。これが社会性。
これがわからんのが、社会性の欠如っていうもの。なんでルールを守らなきゃいけないの? それがルールだからだよってことでしかない。
なんで人殺しちゃいけないの? そういうルールだからだよってだけ。ここに道徳的理由もない。
もし、日本が戦時下にあれば、私たちは殺人にて英雄になれた可能性だってあったわけだ。殺人が善なんだよね。
つっても戦争は政治だけれども。例えば、戦争反対ーとか言ってて、その内容が殺人反対ーだったら、道理を間違えている感じ。戦争は殺戮では無いんだよね、でも、殺戮だと勘違いしている末端の現場が殺戮しまくってる。(上と下の認識が違うことは大いにある)
じゃァ、悪って何? ってことだけれど、悪っていうものは社会にもないんだよ。敢えて言えば、人類の繁栄と平和のために、大多数の人類の苦痛を少なくするために、善悪がそこにあるだけ。
でも、その時代における悪にかたむけば、罰が待ってる。だからやったらいけないんだよってことでもあるんだよね、罰を受けたくもないし。
結局、この世に悪はないんだよね。やったらいけないことなんてものはない。
でも、過去に嫌悪感があることは悪になるし、過去に平和を壊したことは悪になる。ルールが生まれる。
この世には悪はない。でも、ルールを守ることで得られるものはある。それが信頼なんだよね。
守れない人は信頼がない。
道徳もおなじ、守ることで得られるものがある。信頼。
善悪の概念から生まれた意識は、信頼なんだとは思う。
信頼が得られた人は善悪を抜けるし、信頼が得られなかった人は善悪を抜けられないとも言えるんじゃないかな。
過去の自分が悪となってそこに居続ける。誰かが悪人でしかない。
自分を信頼できる人間になるのか、他人から信頼される人間になるのか。はたまた、誰かを信頼する人間になるのか。どれも同じこと。
善悪に陥ってる間は、もしかしたら、信頼っていうどこかで欠如があるのかも。それは社会性の欠如。
これは、厨二病の領域から抜けることでもあるとは思う。少年マンガはいつも善悪の戦いをし続けているように、子供から大人になると、善悪ではなくなるんだと思う。
それは自分のなかにある闇やら悪やら否定やらを吸収することは、反社会をも吸収することなんだと思う。(つまり青年期って自分の善を貫くんだよな。私も私の善を自分に向けては走ってた)
つまりは善悪を抜けることは社会適応になるんだと思う。それは善悪などないけれど、ルールはルールだから従うっていう意識。
私は郷に入ったら郷に従えって言うけれど、そんな感じ。(青年期の方が理解できないっぽいね。流されて生きているようで許せない。ライ麦畑でつかまえてってイメージ。)
ルールはルール。だからそれに従う。でも、ルールに従えないのは、自分のなかに過去があるから。大人になれていない部分があるから。
過去が悪やら闇やらを生み出している。
過去の自分と決別と吸収が上手くできないでいると、社会適応ができずに『自分ルール』でしかなくなっちゃう。
結局は、善悪っていう概念に囚われてしまううちは苦しいんだけれど、今回、私はこの領域から抜け出せたかなと思っている。
ちなみに地上の人のときは、障害の意味とか、そういう社会的意味みたいなものに気づいていったかな。
社会で何も考えずに、そのまま社会のルールに適応すると『殺人者が悪』ってだけで、その人たちを糾弾するだけの悪人になるんだと思う。
つまり、悪を生み出す悪になる。それはやっぱ違うんじゃないかなって思うんだ。鵜呑みして身につけた善悪と、善悪やルールを知った上で適応していることと。
鵜呑みは苦しいけれど、理解のうえで適応しようろすることはそんなに苦しくない。
私は、こういう話を師匠とか先生とかと、たまーにするんだ。先生は「時代の問題」ってことでまとめて教えてくれた。
でも、なぜ、人を殺したらいけないのか、なぜ、法律を守らねばならないのか。その理由について私もずっと考えてきたけれど、しっくりとくる答えを与えてくれた人はほぼいない。
答えなどないものを探し続けていることも多いにあって、そのときの私たちは苦悩してる。
濃密な青年期を過ごしているとも言えるんだよな。それ以前にスッと大人になれたらいいんだろうけれど、周りに大人がいないから大人になるのに凄く遠回りになることもある。
ただ、私の答えはここにある。
悪は過去にある。過去とは、想いや関係性である。そこに罪もなければ、罰を必要ともしない。
そして、過去に生まれた想いや関係性が今を構築している。それが善である。
自分が善であるとき、必ず過去に悪がある。
私は過去を吸収して自己統合していくことは、自らが善へと傾倒することもなく、また、悪でもなく、何にもない自分になれるのかなと思う。
いわば、私という存在に答えなどないように、答えがないことが答えだと思うんだ。だからこそ、善悪が生まれたように、私は答えを求めずにいられるようになるんじゃないかな。