積極的分離理論による統合の結論『普通こそ至極』

2024年12月16日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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愛とは何か。二十歳から何度も問いかけては、実践してきたものです。

愛とは何か、それは人それぞれ違うものだと思います。

昨日、ハリーポッターの1話から映画を観ようと思い、見始めました。

フィルチが昔は怖かった。拷問の恐い話ばかりをしている。それはハリーたちを怖がらせては悪いことをさせないように言っていること。

スネイプ先生が、あんまり好きじゃなかった。なんかちょっと怖いから。でも、彼がどれだけハリーを守っていたのか。外からみてはわからない愛情があること。

言葉や行動からでは見えない部分に、ちゃんと愛情がある。

それが子供の頃は、わかっていなかったような気がします。そして、視えない部分に隠れている愛情に気づけるのは、ようやく今だからなんだと思います。

 

 

 

すごくわかりやすく書いてくれているのが見つかったので、こちらを張らせていただく。

まんまなとりじゃねえかと思いました。

最終的に人格が形成されると、

自分というものが完全に定まっていて内面の調和がとれているため、選択と行動に葛藤が無く、人格は落ち着いていてしっかりと根を張った大樹のように安定しています。
彼らが持つ膨大で密度が高いエネルギーは理想を叶えるために社会活動や芸術分野に向けられます。
多くの苦難を乗り越えてきた経験と研ぎ澄まされた想像力、様々な立場の基準を持つことによる多次元の視野と深い共感性は、既存の概念に囚われないユニークで斬新な、そして社会をより良く変革させるような大きな成果を生み出すのです。

引用:ギフテッドが辿る積極的分離という道について

らしい。ありがてぇね。

「自分とサヨナラをする」というシーンが二十九歳の十二月にあるんだが、このときに積極的分離が完成し、今、最終段階の五段階目。統合の段階かな。

今なにか社会的奉仕が出来るのか? っていうと、個人的には何も思い浮かばない。

最終段階の統合に至ると「何かしら活躍すること」が求められているような気もするんだが、なとりみたいな無個性タイプもいると思われる。

正直、私以上に「なんもねえ」みたいな人はいないような気もする。

心理学とかレイキとか。聞いてくれれば、なんでもゲロゲロでてくるとは思う。

私は『私』という立場をブレさせずに存在していることに意味があると思っている。

なんていうのかな。

この積極的分離後における統合は『社会で活躍すること』になっているんだが、じゃあ、この活躍ってなんだろう? って話なんだ。

私は、これ「大人としてここに私がいること」だけだと思っている。

何かするってわけでもなくて、私が私として今ここにいる。存在している。そのことに意味がある。それが多くのギフテッドの力になるものではないかと思っている。

私が私であること以上に、私はこの世界に恩恵を差し出すことは出来ない。

多くの苦悩を乗り越えた先に自分の人生の答えと完成に必要な鍵を手に入れることでたどり着く完成形です。

引用:ギフテッドが辿る積極的分離という道について

ここに『必要な鍵を手に入れること』と書かれているんだが、それが彼である。

だから私は彼と出会って「彼に出会うために生きてきた」と思った。すべての人生の辻褄性が合ったのである。

会いたかったのだ、私は彼に。

彼が私にとって必要な鍵だった。私のキーマン。だから私は『統合』することになった。

 

私は「幸せな結婚がしたかっただけ」っていう非凡な回答をすることを許してくれるかな。

 

ここまでギフテッドとして苦悩して、人生歩んで、人間性を磨き上げてきたけれど、私は、ただ幸せな結婚がしたかっただけ。

そのために「自分はどうあるべきか」を考えてきた。

これ以上に、ギフテッドのなかでも社会貢献度が低い存在はいないんじゃないかって思うんだけれど、ホント、それだけだよ。

私も人間ですよ。

どれだけ理想の体現性を行うことがあろうと、人よりも一般人離れした集中力を持とうと、高い論理性があろうと、私も人間である。

 

忘れないでほしいことがある、本当に。

私は確かに賢いかもしれない、大抵のことはやってこなせるだけの知性はある。

それ以前に『ひとりの女の子』だったし『ひとりの女性』であること。

小さな家庭を築き、そのなかでしっぽりと納まって生きてきたいと思う、小さな幸福を願っている人である。

ギフテッドは、社会で活躍するとかね。何かやらなきゃいけないとかそういうわけでもない。

知性が高いから、その知性を還元せねばならないわけでもない。

もちろん、それもひとつの理想ではあるよ。できるならばやればいいと思う。

でも、何かを為させばならない存在にならなければならないなんてルールはない。

男の子はさ、社会でそうやって働いて名誉を手に入れてね。それが幸福に深くつながっていることがある。

でも、女の子はどうなんだろう?

女の子も、男の子みたいに社会的に名誉を手に入れていくことをしていかなきゃいけないのかな?

正直、私はそれが欲しいとは思わない人なんだ。どーでもいい。

 

いいんだよって言いたい。

知性が高くて、何かできるかもしれないし、社会に何か求められているかもしれない。

でも、もし、社会的にあなたが価値があると認められている人であっても、別に社会的に活躍をしなくてもいいんだって思っている。

ギフテッドは役立たずになることはないよ、でも、役立たずに敢えてなりたい私がいる。

 

私も、よく頑張ったんじゃないの。

よく生き残ったねって言いたい。人がバッタバタ死ぬなか、よく頑張ったよ。まァ、死に損ないでもあるが。

社会の役に立ちたいっていう気持ちはもちろんあるよ。

でも、それ以上に、女性にとって大事なことがあることを忘れてはならないと思っている。

それが子供を生み、健全に育てていくことである。社会の役に立つの意味が女性には2種類ある。

男性が持つ社会的に働いていくこともあるけれど、女性にとっての社会的に働くとは子供を生むこともひとつ。

だってそれが生物上の役割だから。

 

ギフテッドは知性あるが故の人生を送るものだと思う。

でも、最終地点に立つとき、私たちは『普通の人』だと思う。

それこそが最終地点にあり、私たちが世の役に立たなくてもいいことを理解しているとき、本当の意味で私たちは世界の父と母になるものではないだろうか。

私は本当の意味で、この世界の役に立っている人たちとは、社会の小さな歯車のなかにあると思っている。

歴史に名を遺さない人たちだと思っている。それに意味があると思っている。

歴史の暦に書かれているもの、そのほとんどが不幸だと思う。その不幸の調べが歴史の暦。

でも、歴史に名前がのこっていない、何も書かれていない、視えていない部分に、そこに幸福がある。

私は、その幸福を願っている人なんだと思う。

普通ってどれだけ幸せなことなんだろう? 何も成さないってどれだけ幸せなことか。

そんな平凡さのなかに、私は幸福と笑顔を感じている人なんだ。

私も「そうなりたい」と思った。私の理想がここにある。

ギフテッドが社会的に役に立ち、何かしらの特別を発揮していくなか、私は真逆の道を歩みたいと思っている。

普通に生きていきたい、私の憧れ。

普通がない苦しみ、それがギフテッド。

既存の概念に囚われないユニークで斬新な、そして社会をより良く変革させるような大きな成果を生み出す

引用:ギフテッドが辿る積極的分離という道について

なとりの既存の概念に囚われない、なとりの人生において構築された主観により導き出された回答。

それは「普通こそ至極」である。

だから、私が社会をより良く変革させるような大きな成果を生み出すのだとしたならば「みんな、普通になるために自己統合しようよ」ってこと。自分を迎合することで、普通に生きていくことを受け入れよう。

楽になるよって感じかな。

それが私の人生から導き出した回答。

特別な人間にならなくていい。

女性は特に子供を生めば、その子にとって一番の特別を受け取るんだから、特別になる必要性なんてない。

 

これは私が人生をかけて色々学び、色々と思考錯誤し、私が人生で『人格統合されたひとつの方程式』を導き出したってこと。

今はコンピュータで演算がサクサクできるけれど、こうやって人間の精神を使いこむような人生経験のなかで『計算された回答』を持っている人がいる。

で、これをやるのに十五年以上かかってしまった。普通に地獄だよね。

 

つまり、私のなかでの理想は『普通=幸福』『幸せな結婚』である。

そのことを理論立て、辻褄性を合わせ、またより深い理解をしようとしていた。

ギフテッドは、ただ、自分の理想を常に追い求めている。そして、その結論にまで至っている。

「自分」を突き詰め続けた結果、概念的で抽象的な結論を人格による統合より産み落としてくる。

これってどういう意味かっていうと、存在が概念化されるってことでもあると思われる。

つまり『普通の結婚する人』っていう概念が私。それがどこまでもどこまでも幸福の真髄であることの体現性。

 

ギフトとは、これのことだと思う。

存在が概念化され、その概念の体現性にまで至る経緯を『天から与えられたもの』とは思わない。ただの地獄だから。

最終的に自己概念を定義しきり、理想の体現性となることが実際は天命にあたるもの。

より普遍的なものであり、より抽象的であり、多くの人に適応することがでいる時、私たちは「人の為にあれる」んだよ。

だって特別だったら誰の為にも働けないから。共通要項が無ければ、人の為になることはできない。

特別じゃないから、人の為にあれるんだよ。才能があるから、人の為にあれるんじゃない。非凡であることが最たる才能であることを忘れてはならないよ。共感性とはこれのこと。

誰にも共通要項がある。集合的意識がある。それこそがギフテッドのフィールドのひとつに他ならない。

 

なんで「幸せな結婚ができないの?」って理由を、なんとか解決する方法を私はレイキで提供している。

これが私の『社会への奉仕』である。

だから、この積極的分離についてをここに書いておきたいと思った。

人としてはそれなりに『大人』でしたが、ギフテッドとしては『子供』だったと思います。

ギフテッドの大人としては「やることやるだけ」ですね。それに意味はありません。

マズローの最終段階の自己実現欲求があるわけなんだが、それに近いかな。

自分がやりたいこと。それが社会に求められているものや奉仕と一致していること。

でも、別に「やりたい」とかもないかな。できることをやろうかなって感じに近いです。

幸福になれない、普通に立ち戻れない理由があるから、その理由を解消するよってことができるからやる。

やりたいとかでも今はないかもしれない。欲求ってよりも「やる」という行動的な意志のほうが強いかもしれない。

それに意味があるかどうかなんてことも、あんまり今は考えていない。

求められているうちはやろうかなって思います。

でもこれが社会的な活躍っていうと、すごく不思議な気分。

自分ができることをやるだけだからだと思う。みんな、そうでしょ?

なんら特別なことではないんだよ。

私が私であるってだけです。

 

社会の役に立つ(゚ロ゚)!?

なとりが(゚ロ゚)!?

って気分かな。

いや、ないからヒヒッ⤴︎(〃>З<)ッッ!!!

 

最終的結論だけどさ。

ツインレイって全然関係なくて。私がギフテッドの統合段階に差し掛かってて、彼が鍵としてやってきただけじゃないか、と。

なんなら統合したから、自分が目指した理想の現実化が夫婦円満にあって、レイキっていう技術となとりのチャネリング能力(なぜか持ってた・・・・・・)によって天命に感じられるようなものがあるからそれやるって話だった件。

 

そして、今夜もハリポタを観ます。