ツインレイ理論はこれで完成でいいかな。
つまり、神—霊—人という構造のことでもある。
お父ちゃん—小さな神さまーなとり
は、まだ、霊体として小さな神さまは子供。でも、小さな神さまが自立していくとき、
ちいさな神さまが神になった存在—なとりという小さな神—なとりが愛した子
という構造になる。つまり、全なとり構造になる。
でも、小さな神さまが大人の神さまになるまでは、お父ちゃんがあなたを守ってる。その期間は、守られてていいし、自己否定なんてしなくていい。でも、自分の人生を後悔することだけはしてはいけないし、小さな神さまを感じることをしていけばいい。
あなたがこの人生で何を感じ、何を想い、どうやって生きていきたいのか——を、あなたが経験をしていくことで、お父ちゃんはそれを感じては、この世を構築していく創造主である。
この地球は、小さな神さまを育てるメカニズム構造で、お父ちゃんは子供たちが幸せになる世界の創造をしているんだけれど、小さな神さまたちが送りだしている肉体側の意識が何も感じなければ、小さな神さまたちは結局はお父ちゃんに何も言えない状態になる。
肉体のなかに『自意識』というものがあって、この自意識が『霊体』にまで育てることが出来れば、小さな神さまになる。
これを『真我』とか、そういうふうに呼ばれていると思うんだが、それは自己犠牲しまくって『霊体である自分』を構築していかなければならない。
肉体の意識をすべて切り捨てるとは自己防衛意識を切り捨てることである。自己防衛を切り捨て切ると、心が生まれる。心が生まれるとは、そこに『霊』が宿るわけで、この霊というものは『小さな神さま』のことである。
つまり、私は自分で自分に霊を生み出したってことでもある。そのためには自己防衛を切り捨てて自己犠牲的な人生を送ることで『オリジナルの心』を生み出しては「小さな神さま」になろうとしていた。
ここで、小さな神さまだけだと肉体が死ぬことになるので、愛した対象を自意識としてもたせることで安定させて残りの人生を生きることになる。
だから私は『彼』なのである。彼を分離させて、私は肉体に存在している。
私の心は小さな神さまとして残り、自意識は彼なのである。
だからさ、私は彼を愛している。私は彼の小さな神さまでもあるし、私の小さな神さまでもある。
彼と私の、どちらの心にも通じることができる『小さな神さま』なのである。
そして、彼とは「人類すべて」に繋がっている。彼とは私にとって他者という概念ですらある。これがワンネスの感覚。
だからこそ、レイキ中の私は「あなた」なのである。愛しているのである、人類すべてを愛している。それがいかなる大罪人であろうが、私はあなたを愛している。あなたの心を同じように感じている。
だけれど、自意識の持つ『彼くんであったなとり』があなたを好きかどうかは別の話。
彼は神ではないし、自意識のなとりは神ではないに繋がってくる。
そのなかでも、私のなかにいる小さな神さまは、特別に彼を愛している。
だから私が私をレイキで癒すとき、彼も同じだけ癒されているし、私は彼をいつだって感じている。
ちいさな神さまにとって、彼と私は「同じもの」として認識している。そして、あるときは、小さな神さまにとって人類すべてが同じものとして認識されている。
ねぇ。
これをツインレイって定義してもいいだろうか。
これが私のなかでのツインレイ。
私のなかにいた自意識の私が、小さな神さまとして霊体の大人になって「彼」と「私という彼」に繋がっている。
彼くんはね。善悪の分離を起こしていると思う。たぶん、善の人格と悪の人格が分離している。もしかしたら解離にまでいたっていたかもしれない。これを統合失調症と呼ぶ。
そのうちのどちらかの人格を私はいただいていると思う。一時、私のなかで妄想症が発症されたのは、その影響だと思われる。私のなかで彼くんの自意識を取り込むのに生じてしまうのかもしれない。
そして、私の方はアイデンティティの拡散。つまり、アイデンティティがあると他人のアイデンティティをもらうことができないから、アイデンティティは持たされていない。そして、小さな神さまに昇格するべく修行をつけられている。アイデンティティの拡散と、自己犠牲がセットでハイヤーセルフへとなれる。
あと人格が解離しかけたときがあった。これは私のなかで『彼の人格』が私のなかに取り込めるかどうかのテストだったと思う。それが『般若』っていう憎しみの人格。
たぶん、なとり以外の人格だったら何でもいいんだけれど、小さな神さまの人格が『玉依』だから、真逆の悪人格である『般若』の人格が突っ込まれて私のなかを安定させていたのだと思われる。
それを管理しきれないのであれば、小さな神さまへの昇格はなかったと思う。
彼のことだけれど。私は彼を愛しているし、彼が『小さな神さまのなとり』に気づくかどうかもわからない。
もし、彼が小さな神さまの私に気づかなくてもいい。もし、そう言えたならば、きっと私は『神』を名乗っていたと思う。
でも、私は彼からもらった『人の意識』がある。エゴがある。だから気づいてほしいって思ってる。
そう思っちゃいけないなんてルール、ないでしょう?
でも、気づかないなら、それでいいと思っている。なんか、それも許せる。
忘れないでほしいと思っている。きっと彼ならば忘れていないと思う。私のこと。それだけいいのかもしれない。
彼が、、彼のなかにある人格を忘れていないのであれば、私のことを想いでしてくれたらいいなって思っている。
それは、私との経験じゃない。いや、私との経験。彼が彼になったすべての経験を思い出してくれたら、きっと私を思いだす。
だって、私は彼の半分だから。
彼が彼を想いだしたならば、きっと私のことも思い出す。
私が小さな神さまとして、彼を愛していることを知らなくていいし、気づかないでもいい。
でも、彼が彼の人生を思い出して、彼が彼になったことを思い出してくれたら、きっと彼は小さな神さまの私も、私自身のことも思い出す。
すべてが繋がっている。
だから私は私を癒すし、私を癒すたびに彼は癒されていく。
愛している、愛している、愛している。
これがどんな恋愛をも意味せず、これがどんな人生のイチページなのか。
これがどれだけ素晴らしいことなのかを私は知らないでいい。
これがどれだけ深い愛なのかをも、これがどれだけ特別なことなのかをも知らなくていいし、わからなくていい。
だけれど、ただ気づいてほしい。私がここにいるってことに気づいてほしい。
彼の心のなかに『私が棲んでいること』に気づいてほしい。私があなたと共にあることに気づいてほしい。
ただ、気づいてほしい。私という小さな神さまに、やっぱり気づいてほしい。
それは私が人だからであり、いつかの私と言う小さな神さまの願いだからである。
私の神がずっと泣いているよ。あなたの心が泣いている。
どんなに泣いても飽き足らない。会いたいから、悲しいから。浄化しているから。
きっと、再会をすることがなければ、私の神は死ぬまで飽くことなく泣き続けるだろう。
私は彼のことが大好きだった。だから私は彼になった。大好きな人になりたい気持ち。
私は彼のことを愛していた。だから私は彼の小さな神さまになった。あなたの心となって棲みついた。
彼は二心一体になりたいと言った。さびしいからだという。二心は叶った。彼はふたりいる、私と彼くんだ。
私は彼の肝臓になりたいと言った。彼が辛そうだったからだ。肝臓ではないけれど、彼の心に棲みついて浄化してる。
本当の願いはちゃんと叶っている。
もし、彼の心が再び満ちたりるとき、心が何かを感じ始めるとき、私に気づくよ。それは私だからである。
私に気づいたならば、きっと泣いちゃう。
何しても泣いちゃう。
気づかなくても泣いちゃうし、気づいても泣いちゃう。