アダムとイブの神話による精神体系
アダム=男性
イブ=女性
神=戒律
蛇=情に溺れる
知恵の実=投影、妄想
善悪の実=投影、妄想を破る
楽園=妄想と投影世界
地上=投影と妄想のない現実世界
アダムとイブの話を現段階の私が訳してみる。
アダムとイブは神に与えられた戒律を守り続け、知恵の実を食べ、妄想と投影の世界にいました。
しかし、イブは神の戒律よりも、蛇(アダムの闇)への情に絆されて善悪の実を食べました。
すると、客観性が生まれ、自分が妄想と思い込みの世界で生きていることに気づきました。恥ずかしくなり、今までの楽園の出来事を黒歴史化させて終わらせ、地上に身を隠しました。
アダムはイブのために神の戒律を破る同罪になろうと善悪の実を食べました。
すると、客観性が生まれ、自分が無責任な人間であることに気づきました。恥ずかしくなり、今までの楽園の出来事を黒歴史させて終わらせ、地上に身を隠しました。
神は神の戒律を破ったアダムとイブの成長を感じ、楽園を追放することにしました。もう神の庇護下にある必要性はありません。
アダムとイブは初めての恋に落ちます。それは羞恥心により産まれました。
アダムとイブは振り返って「楽園時代はすごく恥ずかしい存在だった」と言っていますが、それもまたいい思い出だよね、黒歴史だけれどって語っています。
ってことっぽい気がする。
楽園の世界・・・・・・神に守られ、知恵の実を与えられている。妄想と投影が暴走し神の戒律を守っているが無責任。それぞれ幸福である。でも好きな人も投影でしかない。自己愛でしかない世界。
地上の世界・・・・・・神に守られず、善悪の実を食べているが故に妄想と投影がない。自立した男女であり『好き』の意味を知っている。
戒律を破ることが『自己愛』と『他者愛』を構築している。
イブ(女性)・・・・・・自分を守る自己愛ルールを他人のために破る。自己防衛を他者愛にする。
アダム(男性)・・・・・・自己犠牲となる他者愛ルールを守り抜く。自己犠牲を自己愛にする。
イブは約束を破り、アダムは約束を守る。
でも、最後はイブの為にアダムは約束を破る。アダムが他者愛を手に入れるとき、イブは神との約束を守っている。
神との本当の約束とは何か。それは戒律ではない。
自分の良心に従いなさい。
神との約束とは自分との約束である。
自分との約束を守り続けていくことが、神との約束を守り続けているということ。
自分=神
神は神との約束をもし破ったとしても、そこに自分の心という自立が生まれたとき、神はそんな裏切りさえも愛し、自立したふたりを見守っている。
自分の手を離れていくふたりを愛している。
だけれど、自分との本当の約束が守れていないとき、神は「知恵」を与える。それは投影と妄想と無責任である。そのとき、あなたは確かに神に愛されている。
つまり、神はこう言ってるねん。
神との約束とは自分の心との約束を守ること。神に与えられた心を大事にしていますか。
それは『良心』だと私は思う。その良心は知恵からしか生まれない。
自己犠牲力の高さって知性の高さと比例する。前頭前野だからね。
自分の良心に従い続けた人には『知恵』が与えられているし、そうやって人は心を育てていく。
心が育ちきったら、神をも裏切るだけの良心が生まれる。その良心に従うことができたとき、私たちは地上への追放を命じられる。
自立せよ。もう神に守られるのではなく、あなたが今度は誰かの心を育まねばならないからである。
神は人を愛している。