報告|ツインレイと別れて、離れてよかったと思うこと。

2024年8月16日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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たぶん、これから私は「結婚がしたい」に意識が到達していくと思う。

今、現時点では「妊娠がしたい(第二チャクラ)」なのだが、これから次に「結婚がしたい(第三チャクラ)」に進むのではないか? と思っている。

ツインレイの彼との出会いと別れから、私は『支配と従属』という世界観を組み替えることになった。

本来、人の世界観とは支配により構成されているわけではないはず——と言いたいところなのだが、私の個人的な意見では、今の現代となる時代では『家父長制』とか『恐妻家』とかの、夫婦のどちらかが主権を持って家族関係を構築するという時代ではないということ。

つまり、この支配による関係性を否定しきることができないのだが、私個人的には、今の時代は支配による世界観は否定されているということだけは事実として捉えるべきなのではないか? と思っている。

この支配についてだが、ツインレイの関係性も『支配』と『従属』という関係性を模している。

支配側は、教育や福祉関係の仕事に就く人たち。アイデンティティを強烈な否定によって樹立させる。

従属側は、ニートであったり、精神的なことのほうが特化している人たち。単純に自己犠牲力が強い人たちとも言えるのではないかと思っている。アイデンティティを構築させることができない。

このふたつにより、ツインレイが形成されているとき、ふたりの関係性は支配関係にある。

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私は世界観の組み換えとして『支配と従属』という世界観を大きく組み替えることになった。

私は従属側の自己犠牲的な立場から、自分のなかにある世界観を組み替えていくことになった。

それはアイデンティティの拡散が当たりまえ状態だから、アイデンティティを再構築していく——ということである。

つまり、私はアイデンティティを、こたびのツインレイのサイレントによって再構築することに成功したとも言える。

私は大人になったと言葉にすることも出来るかもしれないんだが、私は大人になったのではなく、私になることが出来たとも言える。

 

私はこの人生において、初めて覚悟を決めた内容は「人は簡単には死ねない、だから生きる。」として覚悟を決めたときである。ほかにもいくつか覚悟は決めていることがある。

今回は、ツインレイの彼に出会い「結婚する覚悟」を決めた。

彼がもし、これから先どんな状態になるかもわからないし、もしかしたら、三億の借金を背負うかもしれないし、私は不幸のどん底に落ちるかもしれない。最悪な事態になるかもしれないんだけれど、私は彼と結婚しようと思ったんだ。

腹をくくったってことでもあるし、自分が不幸になる覚悟でもある。

この覚悟とは何かというと、先のことはわからないし不安だ。だけれど、どんないかなることがあったとしても、私は「そのようにする。」と決めること。

つまり、この覚悟とは、未来なんてわからないし、今の現時点ではまるで先の見通しがつかないことだけれども、それでも、私はそのようにすることにした——っていう確定である。これを私は覚悟として決めてきたものがいくつかある。

この『覚悟』なのだが。

この覚悟を決めた人って、なんだかんだいって、その人生を覚悟に沿って幸せな方へ導くことが出来るんだ。

どういうことなのか? っていうと、先の見通しはわからないけれど、諦めないってこと。諦めない覚悟を決めた内容は、その場その場でなんとか考えたり、なんとかしようと努力をしたりを無自覚にも実行していく。

そして、その覚悟に沿って自分の人生プランを無自覚に構成していくことになるから、こういう覚悟を持つ人は幸せになっていくっていう事実がある。

単純に、結婚する覚悟を決めている人の結婚と、結婚する覚悟もなく結婚した人の幸福度では前者の方が断然高いんだ。

私はツインレイの彼に出会い、結婚する覚悟を決めたし、その反動で「私は結婚できる状態になる」ように人生が勝手に構成されていくことになる。

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私はこのサイレント期間で『家族のカタチ』を再構成することになった。

その家族のカタチを、私は『支配』というカタチでしか知らなかったし、私にはアイデンティティもなかったし。

だからこそ、私は家族とは支配ではない無条件の愛による世界観を欲し、無条件の愛を彼に差し出すことは私の中にある偽物の傷つく私を破壊することにもなった。

愛は破壊だと言葉にしているが、本当は愛とは破壊ではない。

人を愛することがどうして自分を傷つけてしまうのか。

それは私たちのなかにある『自分』というものが、本当の自分ではないからである。

傷ついていることのほうが頭おかしい状態であり、傷つくようなことなど、この世には何もないはずなのだ。

だけれど、偽物の自分は傷つくのである。だって破壊しなければならないから。

そして、人を愛せば愛するだけ、私たちは傷つき、その傷ついた分だけ破壊されつくす。

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私は彼を通し自己破壊した。

この自己破壊を、ひとつの破滅のようにも感じられる。しかし、これは再生だった。

私はツインレイの彼を愛したがゆえに、別れをも呼び起こしたが、同時にこれは私の中にある支配制度の革命と、アイデンティティの再構成の機会を与えられた。

彼は何度も私を無視し続けたが、もし、途中で彼が私に振りむことがあれば、私はここまでアイデンティティの再構築も、支配という概念を破壊することも出来なかっただろう。

私は執着しているからこそ、得られているものがものすごい量であった。

そもそも自分すら喪失している私にとって、彼に執着し求めることこそが、私を取り戻すトリガーでもあった。

もし、これが「彼ではなかったら?」と考えると、きっと、私はこの支配制度も私を取り戻すことも出来なかっただろう。

私は彼だったからこそ、自分の持つ世界観と、自分自身を組み替えることが出来たのだと思う。

こればかりは、私は「彼自身をしっかりと直視していた」のではないか——と思っている。

多くの投影をしたと思う。彼には申し訳ないが、途中から、もう既に「これは彼のことではない。」とのことも理解していたんだが、まァ、ブログ上の役割として彼には何度も損な役回りをさせたようにも思うんだが。

私は彼のなかに自己投影する以外にも、しっかりと彼を見据えていた瞬間がある。

それは、私が苦しみを感じる無条件の愛を行使しているときだ。彼を愛しているとき、私が苦しんでいるとき、私が自己破壊を起こしているとき。そんな瞬間で、私は彼をしっかりと見据え、彼自身を愛していたんじゃないかと思っている。

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私は、ずっと結婚がしたかった。そのために覚悟を決める必要性があった。

覚悟を決めれば、オートモードで私は「結婚が出来る」方向性へ向かう。そして、その世界を満足がいくものとして定義することができるだろう。

その覚悟も、彼でなければ私はすることも出来なかったんじゃないかと思っている。

ただ、私は彼を自己投影し、また比較対象とすることでしか『家族』として迎い入れることができないほどの未熟な精神構造をしていたと思う。家族とは身近な人だからこそ、深層心理が強く表に出ることになったんだろうから、きっとふたりの関係性はあのとき結婚できたとしても無残に散った話でもあったんじゃないか。

お互いに不幸になる道になるのであれば、私はその道を進むことは出来ない。

なぜならば、前述に書いてある通り、私は『覚悟を決めた』からである。その覚悟を決めた内容は、結婚する覚悟である。

いかなることがあっても、私は生きるための道しるべとなる最善を探すことになるだろう。

もし、最善が離れることであったとしても、本当に最善ならば、最善を選択する。

結婚をしたいと思っていたが、それをするにはいまだに未熟な自我を持って関わることは、それはお互いにとって本当に不幸になるだろう。

別れとは、その先にある不幸の予防線。

だからこそ、私はここにたどり着くまでの間に「結婚する為に必要なもの」をそろえていたような気がする。

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そのために必要なことは「健康」「無条件の愛」「精神の健康」、そして「健全な世界」だったと思う。

必要なものを手に入れるために、必要だったこと。それは「別れ」だった。

私の中にある「このままじゃいけない」と思った理由は、私は結婚する準備がまるで出来上がっていない人だったからこそ、このままじゃいけないと思ったんだと思う。

子供が欲しいとは思えない子宮に、苦しみのある破壊から生まれる愛を持ち、世界観は支配と従属という概念でしかない。

このなかに私が知る幸福はひとつもなかった。

子供が欲しいと思いたかったし、破壊ではなく愛を純粋に実行したかったし、支配や犠牲を必要としない家族がよかった。

でも、これはアイデンティティが喪失し、機能不全家族で育った私にとって、ものすごい難題でもあったと思う。

私は知らない。私は私を持つ方法を知らないし、私は私がいる感覚を知らない。私は私が誰なのかもわからない。母とはどのような存在で、父とはどのような存在なのかも知らない。

家族と言うものを「かえる場所」と言葉にしたものの、私にとって家はかえる場所であったとしても、その場所がそれぞれの存在が許された世界であったことが過去に一度も経験したことがない。

男性と付き合ったことは何度もあるが、過去に一度も「まともな関係性を構築できたこと」はない。たいていは我慢がなければ、ふたつは結びつかなかった。私が自己の喪失しているからこその関係性。

 

だからこそ、私には考える時間が必要だったような気がする。

どうあるべきなのか、何が正解なのか。

私には自明性の欠落があると思う。当たり前のことがわからない。異常な世界しか知らないし、健全な世界でなければ子供は作りたくない。だって、私は子供と言う奴隷はいらないし、子供を支配したいわけでもない。私の不安をなかったことにするための夫もいらない。

間違えていることはわかる。そこには苦しみしかないから。

でも正解がわからない。だから私は方程式を立て、最適解を導き出していくしかない。

たぶん、機能不全家族のもとに育った人は「これは違う」はわかると思う。違うからこそ、否定によって肯定してしまい、自らを支配者とするケースも多発している。

家族を否定することは自分のアイデンティティの構築を否定することであり、自分のアイデンティティを肯定することは家族を肯定することになる。つまり、機能不全家族への否定は、自らが機能不全家族を構築する肯定となる。

だからこそ、二元性は脱却せねばならず、自分なりに考え、自分で新しい回答を探しに行かなければならない。

そのとき、私たちは三元性へと導かれ、本当に正しいと考えられる『真実』のようなものへとの到達がある。

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私はツインレイの彼と離れ、サイレント期間に入ったからこそ考えたんだと思う。考えられる時間が設けられたような気がする。

別れが始まりだった。別れが私の自己を再構築するトリガーとして与えられた。私を自己破壊し、ふたたび再構築する為には、三年ほどの月日が必要だった。

私が思うに、自分のなかにあるアイデンティティの拡散状態から、再構築し、自分の機能不全家族により刷り込まれた支配の思想をたかだか3年ほどで全取り換えするレベルで組み替えたのだとしたならば、これはもう最短だったと思っている。

ありがたいことに私には考える時間だけはたくさんあった。

 

私は、彼と別れ、また離れて。その期間に自分を取り戻した。

そして、私は今レイキヒーリングを提供しているんだけれど、もう十年近くこの仕事をやっていたんじゃないか? っていうぐらい、ものすごいしっくりくるような感覚がしている。

毎日が楽なんだ。今まで努力をして維持していたものがすべて崩壊してしまったような気がするし、努力なんて必要がなかった。

私は彼と離れて良かったと思っている。

もし、途中で、彼と再会していたりしていたら、きっと目的はとん挫されたことだろう。

 

私はたびたび「今まで結婚しなくてよかった。」と言う。

今まで結婚していたら、きっともっと最悪な事態になって、泥沼の不幸になってた。

私は結婚していなかったからこそ、今『自分』を取り戻して、自分の世界観を再構築することが出来た。

 

彼には感謝している。

すべては彼が始まりだった。