男女における精神の領分を超えること(精神的交配において)

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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言い方、言い方ね。領分を超える。言い方、大事よね。言い方をちょっと書き換えていると思うので、読みにくいと思うんだけど、脳内変換しつつ、それはそれで楽しんでもらえたら。

読めると「wwww」でしかないと思うが。大人の戯れだとでも。

ぐーぐるさんにいつも怒られて、記事の取り下げ命令食らっとるんで(:3_ヽ)_

 

私たちには肉体の領分と精神の領分が存在している。

そのうち、肉体の領分を乗り越えることがあるが、私たちはそのような歴史を繰り返しながら、繁栄を遂げてきた。

しかし、私たちは肉体的領分を超えることはあったとしても、精神的領分を超えることがないようにリミットが課せられている。

私たちの中に燻っている、加虐の意識は否定され、いまだかつて解放の道へとは誘われていない。

精神の領分を奪う作業を、精神的支配とも言葉にするが、女性は精神的領分を奪われることすら望んでいる瞬間がある。

これは互いにおける本当の意味での信頼において構築できる関係性だと思われる。

男性が一方的にもし女性を加害、加虐することがあれば、最近メディアでも取りざたされている元アイドル男性のように非難が集中することになるだろう。

いわば、これは本性なのではないか――と思うからだ。

男性が持つ支配欲求、女性が持つ降伏欲求を満たし合うことが精神的な領分を奪い、奪われるということに繋がっている。

また、精神的な充足感、満足感は、男性は支配が満たされることであり、女性は支配に屈服することで満たされるのである。

 

支配の真逆側にある意識とは『優しさ』である。

この優しさとは道徳から生まれ、永遠の母のために存在する子供を作り出す。

いわば、男性が『優しい息子』という概念に留まり続ける理由は、男性が男性のままだからである。

女性が優しさを求め続けていくこともまた、私たちは少女のような心を持ち、優しい父を求めているのである。

親子の関係性は優しさに溢れるべきかしれないが、男女の関係性はまた違ったものであったとしてもおかしくはない。

そこに相手の領分を奪い、自らを追い込むことが求められている世界観のなかで、私たちは未だに優しさを求め続けている幼さが残る。

信頼とは大人の証明であり、信頼が得られることと優しさを受け入れてもらうことでは意味が違う。

私たちには表と裏の顔がある。社会的な顔として父があるならば、そこにあるべき優しさであり、支配ではない。

しかし、裏の顔として男があるならば、そこにあるべきものは支配に満ちる可能性を秘めている。

 

男性がよくパワハラ、モラハラで訴えられるわけだが、これが支配のあり方を理解していない例ではないかと思われる。

マインドコントロールさえも可能だが、もしかしたら、家庭内での支配が満たされていない可能性がある。(家庭内の支配とは女性の領分奪う事ね)

つまり、社会で仕事する人がオスになってるとマウントやパワハラが起こる。家庭内で父がオスになってるとDV起こる。

ベッドのうえでオスになると満たされる。あと子供が生まれる。(女性の信頼を勝ち取っている男性ならばの話)

 

女性もまたベッドの上での支配をどれほど受け入れているかどうかの度合いにもよるような気がする。

勝手に男性に心を決め付けられる。※

勝手に男性に弄ばれる。※

※ただしイケメンに限るならず、ただし信頼できる人に限り、私たちが心を開くことは、支配を受け入れることである。

またこのとき、私たちの感性(歓声か?)は、絶好調に達するわけである。(すまん、比喩しきれん)

このときの私たちは支配され、自分のことを自分でさえ管理しきれていないというのに、とてつもない高揚感と、また、喜びを感じるのである。

私たちは支配されることに、また、それを許しきることでどこまでも解放されていくのである。

 

私自身、なぜか男性に支配されるかのように自分を押し付けられ続けてきた期間があったが、そのすべてを受け入れるようにし向けられた。支配を受け入れろということだったような気がする。

結局は支配を行使するにあたり、善悪による支配を行使してはならないのである。(私は男性が持つ理不尽な支配をされたのである。)

善を押し付ける支配は、より女性を苦しめることになる。支配とは母が行うような道徳的支配を意味しているわけではない。

また、自分の主観を押し付けることが支配ではない。理不尽さを押し付けることが支配ではない。

すべてはベッドの上でしか成立しない支配を社会的に行うことは、他者を害する行為に他ならないのである。

この分別が身につくかどうか。その身についた分別もまた信頼と共に構築され、女性の領分を奪う権利が与えられるわけである。

 

男性も、女性も、本当の意味で解放されているとき、男性は究極の支配者だし、女性は究極の依存者みたいな関係性になる。

それが信頼の元に構築されるとき、円満が生まれる。代わりに依存させた男性は女性の責任を取らねばならない。

女性はこのとき、不安定にもなるし、状況判断もつかない状態におちいることを意味しているから。

 

男性が女性にベッドの上で優しいとき、それは不信がある。また、女性を母のように扱っている。

女性が男性にベッドの上で優しさを求めるとき、それは不信がある。また、男性を父のように扱っている。

親の投影が抜けていくとき、私たちは支配者と依存者として成立しているのである。また、それが本来あるべきオスメスという生物のあり方なのだと思われる。

 

女性として、メスっていう意識上で、私は支配を望んでいるわけなんだが『支配は悪』とか『マインドコントロールは悪』みたいな、それこそ、道徳による洗脳で面白くない営みが生まれるんだよな。それが私は気に食わない。

これ以上に面白いもんはないんだが、この性における追求って、お互いの異常性を赤裸々にだせる場でもあると思うんだ。

あんまり女性とガチトークなんてしたことねえけれどさ、する上で「自分の心をベッドの上で決めつけられる」って脳髄にくるよね? え、こないの?

「気持ちいい?」って聞かれるよりも「気持ちいいね」って勝手に自分の気持ちを決め付けられたほうがこない?

これってサイコパス心理でもあるんだよね。

サイコパス気質って社会的には詐欺とか犯罪とかに使われるからあんまりよく言われないけれど、ベッドのうえでのサイコパスは最高ってこと。

やり方は書かないよ('ε’*)自分のサイコパシーを男性は目覚めさせていけばいいと思う。

それを受け入れられない女性もまた、自分がどれだけ依存したい、自分を持ちたくない、決めつけられたい、すべてにおいて全部相手に委ねたいっていう自己喪失欲求を目覚めさせればいいと思う。

また、信頼の上で自分をすべてさらけだせた暁には、最高の夜を約束するよ。

 

男と女としての成熟は、自分の中にある根底の生物としての欲求に答えることだと思う。

それは肉体的欲求では無くて、精神的欲求のなかにある。

男は女を全力で自分で埋めつくし、女は男に自らのすべてを明け渡す行為こそが至極。

それには覚悟が必要。

男性は女性の全責任をとり、女性は男性が全責任をとってもらうんだから。

いわば、私が「彼だった」のはそういうこと。

彼は自分の本心から逃げた。向き合えなかった。地上の人もそうだったね、向き合えなかった。

彼が私の中をすべて支配することを許可した。精神的な交配をした結果に他ならん。

たぶん、やれば誰だって可能だよ。

でも、彼はいなくなった。どんな思いでいなくなったのかどうかは知らんがな、でも、彼は消えた。

男性の場合、子供の責任が行為の責任なら、お金が支払われる罠。でもこれは別。精神の責任。だから精神を支払うんかな?

私もまたこの数年はずっと責任を取っていた。基本、男がとれない責任は女が背負うことになるんよ、子供も同じでしょ。

男に必要なのは自己責任。自己責任がないオスを引いた私の徳の低さに問題があるんだろうね。

つまり、今、私は彼が心から望んだ状態に更地にされた。でも、当人だけいないっていう謎な状態になる。w

彼の精神の責任を私が取っていた。

まァ、いいけどね。そんぐらい。

私は結構な自己責任で生きてるから、彼がもし消えたんなら、それもまた、そんな人の心の弱ささえも愛せたなら、これ以上なことはないでしょう( ˇωˇ )

女ってそういう生き物じゃない?

少なからず、一度でも情が湧いて愛したっていう自分を否定したくはないから、私は彼を否定したくない。

彼を否定することは私を否定することだから。

 

つまり、危険なことでもあるよね。

同時に精神と肉体をするとなると、そりゃまァ、神でも産みそうよね。爆

電車の写真にしよーっと('ε’*)ランボー!