幸福の自立と、幸福の共存。

Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
kindleの読み放題『Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題
人それぞれ幸福の形が違うけれど、男性の幸福と女性の幸福も、それぞれ定義されて違うと思われる。
ツインレイの相手が幸福ならばそれでいい。私もそう思っていたんだけれど、でも、本当に相手が幸せかどうかなんてわかりはしない。
つまり、私がもし誰かよりも幸せにみえたとしても、私が幸せかどうかなんてわかりゃしないって話。
だからこそ、私たちは「自分のことしか幸せにできない」のかもしれないって思った。
私はずっと彼のことを幸せにしたいって思ってきたし、そのように尽くしてきたつもりだったし。でも、私たちがもし自分のことしか幸せにできないのであれば、相手の幸せを推し量ることも含めて、それはいらぬおせっかいみたいなものかもしれない。
もし、私たちが相手に「何かしらの幸福」を与えることができるのだとしたならば、それは、私たちがここに幸福感を持って存在していること。
その幸福感に満たされていることこそ、相手へ差し出せる幸福の所存。
男性が「お金を稼いで彼女を安泰させてあげること」も、彼女からすればいらぬおせっかい。
女性が「彼を愛してあげること」も、彼からすればいらぬおせっかい。
おせっかいという言葉にしてしまうと、ちょっと暴力的だけれど、それでも、不必要なものなのだと思う。
そんなことよりも「自分が幸せになること」に注入したほうがいい時間、愛、そしてお金がある。女性は特に私を含め、これが下手なものかなと思った。
つまり、異性に求めるべきものは「倖せにできる相手」でもなければ「幸せにしてくれる相手」でもない。
他者がそこにいて、自分の幸福があってはならない。
私たちの幸福は、自らのなかからのみ生じるものである。これが『自立した幸福』なのだと思う。
人は、生活のなかで幸福を感じている生き物であることが『普通』なのだと言う。
ツインレイ関係の方のほとんどは、家系の因縁含め、色々なものを背負っている方が多いゆえ、盲点となりやすいものだとは思う。
人は、生活をするだけで幸福である。
ご飯を作ること、お風呂に入ること、明日の準備をすること、着替えをすること。
どの生活をとっても、私たちは「生きること」すなわち、生活することに幸福を感じるように出来上がっている。
もし、幸福を感じることができないのであれば、それは私たちのなかに幸福を感じることができない原因がある。その原因を取り払っていくことは、私たちに幸福が再び感じ取ることができる機会に恵まれてくるだろう。
根底には『恐怖』や『不安』があって。その恐怖や不安により、次に、生活が脅かされている。私たちの生活は恐怖や不安に脅かされていることなどないというのに明日が怖い。怖くて、恐怖による選択をしては間違える。
もし、この『生活をするだけで幸福』になるとき、私たちはスマホに依存することも、今の私のように文章を書くこともなければ、ゲームに勤しむこともないんだよなと思った。時間を生活に使うことができる。
私は、そんな日を探している。
この生活による幸福が存在して、私たちは幸福の自立を持つと思う。そして、幸福の自立があるからこそ、次に、関係性の幸福が生まれてくる。
もし、私たちが自立の幸福を持っていないのであれば、関係性の幸福も歪むことになる。
あなたがいなければ不幸になる人は、相手を束縛するだろう。
あなたが何かをしてくれなければ不幸になる人もまた、相手から何かを搾取するだろう。
私たちの幸福は、取り合いをするものではない。しかし、私たちの幸福が「誰かから何かを奪うこと」で成立するとき、私たちは確かに不幸なのだと思う。だって、ここに幸せがないから他者から奪いたい。
そして、搾取をしたところで満たされるわけもない。
関係性の幸福とは、相手を知ること。相手を思うこと。相手を感じること。
そして、子供が生まれることなのだと思う。
この世には、ひとりで幸福なる自立的なものがあるけれど、同じように、ふたりでなければ為すことができないこともある。
それは、先ずは「ひとりで幸福になることができる自立」がって、次に「ふたりで幸福になれる共存」がある。
しかし、私たちは自立すら出来ていないのに、共存の幸福を真似てみせては、幸福の搾取を繰り返しているのだ。
幸福の自立、『生活をする幸福』であり、自分で自分を満たす自己完結的な幸福。自分のこと。
幸福の共存、『ふたりでいる幸福』であり、相互関係を持つ、ふたりで生み出す幸福。仕事、家庭のこと。
幸福の共存では、相手を幸福にすることも、幸福にされることもない。
先ずは、自分が生活のなかで満たされることが無ければ、共存はできない。