インディゴチルドレン・クリスタルチルドレン・レインボーチルドレン
チルドレン思想のなかで、
- インディゴチルドレン1970年~(変革)
- クリスタルチルドレン1995年~(調和)
- レインボーチルドレン 2010年~(波動上昇)
というカタチで新しい人種のようなものが生まれてきていると言われている。
さて、この思想を基盤に「ツインレイ」というものを書いてみようかなと思っている。
こういった思想は、基盤そのものだけを抽出して、その上澄みのようにのっかっている失敗した伝言ゲーム、幻想や妄想等を除去すると、かなりいい情報源となる。
今んとこ、彼らが生まれてきた目的はアセンションと言われているが、個人的にはアセンション思想そのものに眉唾ものだなと思っている。
だから生まれてきた目的も不明。私自身は目的と言うよりも「そうならざるを得ない人種がでてきてしまった」としか言いようがないと思われる。
以下、個人的な見解である。
スターチルドレンたちがなぜ生まれるのか
これらのチルドレンたちをスターシードって言うらしい。
私自身は「スターチルドレン」と直感をえているけれど、生まれもってのスタシードは存在しないと思われる。
スターシードになっていく——というのが目的であり、スターシードとして生まれた人間はほぼいないと思われる。
私たちがこの世に生まれ、その方向性へ歩まずを得ない粒がそろってきて、その粒が、これまた、異常的な性質を持っているものだから、それを『スターシード』として枠組みを作ったのではないか——と思われる。
それが親の因果なのか、それが社会への適応の為なのか。ひとそれぞれ、個体として私たちが生きていくために必要としたいきる術が宇宙規模(自分は地球である)という思想にまで展開された人たちがこれからは生まれるってこと。
で、これを私は帝王学と呼んでいる。つまり、帝王学を持つ側の人間が少しずつ増えてくるって話でもあるのかなと思っている。
さて、スターシードだが、多くの方が宇宙人だった記憶があったりするらしい。あと、アレルギーが多いとか色々もっているとは思われるが。
個人的にスターシードの方々って地球がそもそも嫌いで精神的に拒絶している人たちっていう印象しかない。
だからそうやって人体も拒絶が生まれてきて、自分は「宇宙人なんだ」っていう思想展開から色々と『みている幻想世界』という世界観のなかにいる人たちっていう印象がある。
根本には『幻想を持っている』から、自分は宇宙人である——と言いたい。これを特別であると思いたい根底的な部分だとは思うんだが、これは先ず除去しないといけないもののひとつだと思われる。いわゆる、自分はスターシードなんだって思うこと自体も選民意識のひとつに加えて、自分を省みてみるといいんじゃないのかなとは思う。
世代ごとのチルドレン比較
インディゴチルドレンは『知性の子』。(優しい子)
クリスタルチルドレンは『浄化の子』。(創造の子)
レインボーチルドレンは『才能の子』。(あなた)
最後に、すべてが内包された子を『スターチルドレン(スターシード)』と呼ぶ。
すべてがスターシードでありながらも、それは種に過ぎず、最後に『スターチルドレン』という形に着地するまでの進みを意味していると思われる。
まとめてキレイに説明すると『間違える』ので、流れを書いていく。
始まりのインディゴチルドレン
始まりはブルーレイという1970年以前に生まれた人たちをさすらしいのだが、今回は「はじまり」をインディゴチルドレンとしようと思う。
インディゴは『藍色』である。いわゆる、知性である。そして、多くの情報のなかには『直感がある』と書かれている本性についてである。たぶん、第六感的な話なのかな? と思われる。たしかに第六チャクラであるおでこは藍色とされているから、そのあたりから引用されて、インディゴチルドレンの幻想が生まれたかもしれない。
藍色の直感とは、論理性の先にある。
つまり、直感と論理性はイコールで結ばれている。この論理性が失われている直感とは、それは『妄想や幻想』なのか、それとも『事実』なのかの判断がつかない。
いわゆる「ぼんやりそう思った」というのが直感ではない。その裏に論理が備わっているのが直感である。
直感の高さとは、当人が持つ論理性の先にしかない。いわば、論理性の高さとは直感性の高さとも言える。直感が強い人は必ず論理性が高い。論理が備わっていない人の直感とは、それは妄想や幻想となり、真実から遠のいている現実性を失ったものとなる。
インディゴチルドレンたちは、優しさのなかで知性を培うことになる戦士である。彼らにとって考えることは、先ずに『自分自身の藍色のパワーを強めることを望んだ人たち』である。
私がとちくるったかのように、直感を説明し続けたのはインディゴの気質を鍛える。直感を鍛えるために、バックグラウンドにある論理性をたたきあげていたにすぎない。そのとき、感情や主観は必要がない。ただ客体のみにより思想を展開させること。そのとき、私の論理性は高まっていく。3年近く、直感をきたえる修行をしていた。
最後はバックグラウンドとなる論理性が構築されれば、前面的な部分で『直感のみ』が捉えられるようになる。
インディゴチルドレンは『罪を背負う』気質がある。その気質はエンパス等の気質とはなるが、自身をエンパスやらHSPやら言って「自分が自分であること」から逃げてはならない。そして他者から逃げてはならない。
HSPである——という言葉を自身の擁護として説明してはならない。それはあなたを守ってくれるための武器ではない。
エンパス能力は人を守るために、人に優しくなるために備えられた能力である。それが優しさとして鍛え上げられたとき、私たちはインディゴの気質を備えるのである。
たいていうつ病ってことで処理されている。または統合失調とかもあるみたい。内包する闇の気質に耐えられないときの症状がどのようにでるのかは個体別により違う。
自分自身の闇に耐えられないとき、人がどのようになるのかは各々の個体によりけり。その闇が他者から背負わされた罪や家計の因果等である。
浄化のクリスタルチルドレン
クリスタルチルドレンは、元々『ひとつ』として生まれてきている。
インディゴチルドレンたちは、自身が半分になることで、半分を『罪』をのせることで多くの人を守ることになる。それが優しさだからである。インディゴは『優しさ』と『罪』の半分により構成されている。
しかし、クリスタルチルドレンたちは、元々『浄化』として存在しているために、存在そのものが『罪』を背負うことはない。
だけれど、子供時代や親の因果の関係性で、クリスタルチルドレンたちも罪を背負い、浄化機能を失っていることもある。
クリスタルチルドレンたちは『ツインレイ』としてステージを必要としない。クリスタルチルドレンは、元々両性性として生まれてきているために、インディゴチルドレンのようにツインレイと出会い、ツインレイとしてのステージを要しない。
いわば、そもそも統合体として生まれてきているのがクリスタルチルドレンである。
クリスタルチルドレンの気質は、相手の罪や相手の悪を受け取り、それを循環させ、光として排出するメカニズムをそもそも備えている子たちのことである。
インディゴからすれば、クリスタルは完成させられている『完全体』である。
たいてい発達障害というカタチで処理されているっぽい。
才能があるレインボーチルドレン
レインボーチルドレンとは、クリスタルをクラックさせて輝かせたものである。
水晶には歪みや衝撃を与えることによる傷により、度々『虹入りの輝き』を放つことがある。
レインボーチルドレンたちは自分自身に傷を持ち、その傷により輝きを齎したとき、それが才能となる可能性がある。
その傷を才能にするのか、ただの傷としてなるのか——は、クリスタルの状態による。
それは『自分らしさ』である。虹は光に充てられたときに屈折により映し出される。自分らしくい続けることが才能を光らせることができる。
純粋なクリスタルは輝きを持たせることができるが、純粋ではないクリスタルには光の屈折が生まれないために、それ輝くことができない。内包している意識が闇であれば、その闇の意識によりレインボーとなって輝くことは出来ない。
そして、そもそも生まれた時点で『傷』と『光』のふたつを持って生まれてきているのがレインボーチルドレンである。
だが、根底となるクリスタルとインディゴの気質がなければ、それは光らない。あるのはただの傷。それが虹ではなく、妄想や幻想を展開させるケースが多発している。
根底的には才能があったとしても、生み出すものが幻想となってしまうのである。
レインボーチルドレンの多くが、クリスタルとインディゴの土台をもたないことにより、つぶれているのが現状かなと思っている。
たいてい、解離症か妄想性、または統合失調症として処理されている。
スターチルドレン
虹は7色と6色の違いは藍色にある。藍色を虹として加えるのかどうか——である。
つまりインディゴの色が虹に加わるとき、七色の虹が生まれる。知性や論理性。それが虹を完成させる。
スターチルドレンとは『インディゴ』『クリスタル』『レインボー』の気質を三つ揃えたときに成立する。どれもかいてはならない気質である。
元々はシターシードとして生まれてきているが、それぞれ、インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、レインボーチルドレンとしてひとつの個性を持って生まれてきているのがスターシード。そして、その気質を活かし、世に還元することができるようになり、最終的に到達するのが『スターチルドレン』であり、スターチルドレンは帝王学がある。
ちいさな小宇宙を体現し、自分自身が地球と同化しているがゆえに、地球で何が起きているのかを理解し、そのために必要な判断を都度行っていくことができる気質を持っている。
それは私たちがイチ個人である『人間』という存在であることを理解し、そして、小宇宙である自分自身が世でどのように存在しているべきなのか——という知性で捉えて生きていく優秀な人材とも言える。
チルドレンの進化
インディゴチルドレンは、罪を背負うことにより構成されている。インディゴは『光と闇』というふたつの気質を持っている。自分が保有している闇をすべて背負うとき、インディゴチルドレンはクリスタルへと進む。
クリスタルとは『意志』である。自分自身が保有している罪をすべて自分のものとし、すべて自己責任として背負うとき、意志が生まれる。その意志によりクリスタルというカタチが生まれる。
クリスタルは『浄化』である。浄化は闇の部分を浄化していく。このときツインレイが闇を浮き彫りにさせる為、ツインレイを必要とする。
インディゴチルドレンはクリスタルの半分である。インディゴは、自身のなかにある半分を闇として保有しているために、クリスタルの半分が闇により構成されているとも言える。
そも闇の部分をツインレイにより浮き彫りにさせる必要性があるために、インディゴたちはツインレイと出会い、ツインレイたちのふたりは(精神的な)結婚を目指しながら、クリスタル化へと進めていく。
その過程においで、インディゴの気質を明確に樹立させていく。それが論理の先に存在している直感である。(論理の先にしか現実性を孕む直感は存在していない)
クリスタルとして成立するとき、インディゴは自分自身んあかにある『光と闇』をバラバラにするため、インディゴ自体はツインレイと出会うことで解離する。このときに精神と現実による乖離が起きている。
この解離により『闇を浄化する』ことになるため、サイレント期間では闇の浄化期間とする。そして、ツインレイの精神的な結婚をし『意志と意志による結婚』をもたらすことになる。
そもそも、その過程を向こうの世界で終わらせて生まれてきているのがクリスタルチルドレンである。
クリスタルチルドレンはインディゴが抱えている闇を保有しているわけではない。そもそも闇の循環を起こしているために、自身のなかに『闇』を持っているわけではない。
だから、ツインレイのステージを必要としない。ツインレイのステージはインディゴが持っている闇の浄化のためのステージなのである。
クリスタルはそもそも意志を持って生まれてきている。インディゴがもし『闇を背負って生きる覚悟』を持っているのであれば、クリスタルは『闇を浄化して生きる覚悟』を決めることになる。
インディゴは自身の闇を受け入れられないし、クリスタルは自分が浄化して生きることが受け入れられない。
インディゴは自分自身を受け入れられず、クリスタルは自身の人生を受け入れられない。
クリスタルの人生の主体は創造性となる。その創造は妄想と紙一重である。
クリスタルという『意志』に、クラックというカタチで破壊をくわえると、虹が生まれる。
『自分の才能を活かして生きる覚悟』を決めたとき、その人には虹という才能が生まれる。その才能を持ってレインボーチルドレンしての存在となる。
- ブルーレイ・・・人間である自分という意識
- インディゴ・・・闇を背負う意志
- クリスタル・・・闇を浄化する創造
いわゆる、この三つが揃い、人間である、闇を背負う、創造性がセットになると、その人には衝撃が与えられる。
その衝撃により破壊され、虹が生まれ始める。それは自分らしさが生まれる時である。
人であり、意志があり、創造性がある。その先に「自分らしさ」を与えられたとき、私たちは自分の才能に気づいていく。
自分らしく生きていくには、人が人たらしめている必要性がある。そこにあるのは、ただただ現実がある。
ただ現実を見ることばかりがなかなか難しく、現実を直視するたびに、それぞれチルドレンとしての開花を見せていく。
それぞれに足りたいものを必要とする
インディゴチルドレンには『創造性』や『自分らしさ』が足りない。ただ、知性のみを鍛えてきているから頭はいいかもしれないけれど。それは幸せなのだろうか。
クリスタルチルドレンには『知性や論理性』や『自分らしさ』が足りない。ただ、創造性を鍛えてきているから何かを生み出す基盤は持っている。でも、創造に必要なアイデンティティを失っている。本当にやりたいことができない。
レインボーチルドレンには『自分らしさ』はあるかもしれないけれど『知性』や『創造性』がないから、自分を表現する場所ややり方を失ってしまい、妄想性やイマジナリーフレンドを必要とする。
知性、創造、自分らしさ。
この三つがそろって、ようやく『スターチルドレン』である。最初はひとつしかないよ。ひとつしかないけれど、そのひとつが極められれば、ほかのふたつは後天的に手に入れることができる。
そして、ツインレイ。ツインレイとは自分自身の道を終わらせたときに生じる。
その先にあるのはスターチルドレンである。つまり、自身のチルドレン思想を克復し終われば、次にスターチルドレンとして進化する。そのときに他の気質を内包する。
内包した気質は、自分の極めた気質以外のものである。その気質を手に取にとり、私たちは存在するとき、きっと多くの還元をすることになるだろう。
だが、自分自身のチルドレンとしての存在を終わらせることがない時、私たちは才能をくすぶらせる。
さて、これは選ばれた人だけがそのような存在になっていくというわけではない。
ごく一部の人たちが、そんな存在になっていくわけではない。
いつかは自分がたどりつく場所である。それが今ではないだけ。それが今ではない、けれど、いつかは到達することができるまで、今の人生にするべきことをやる。それが人生である。
ただ、ごく一部の人たちは、スターチルドレンとして完成していく。そんな人たちは、この世の輪廻を終わらせ、次の世界へ飛び出していく。その準備を整えに来た人たちが、この地上に今うまれてきやすい時代にもなってきた。
そのタイミングの人たちは『自分がどうしたらいいのかは知っている』かと思われる。
都度、どうすればいいのかを知っている。何をすればいいのかもを知っている。私たちは生まれ落ちては右も左も分からない存在かもしれないが、私たちのなかには既に『自分がどうしたらいいのかを知っている』という魂の感覚を覚えている。
それがスターシードである。それは妄想ではないし、幻想でもない。大事なことはただ現実にあることを知っている。現実性が私たちにとって重要なことを理解している。
だから何度だって現実を取り戻そうと、いくら幻想のなかに落ちようが戻ってくる。
でも、その現実を受け取れずにドロップアウトしていく人たちは、その段階の魂と言うこと。
知らんことはわからんのだよ、魂も同じこと。知らんことはわからんよ。魂が知らなければ、それはやり方がわからない。わからなければ、先人に教えてもらうしかない。その先人が幾人かいて、その人たちから少しずつおこぼれをもらって教えてもらうしかない。
ツインレイと出会っている、だから対等であるってことはないし、やっぱり先人は先人である。
それは年齢である。年下であろうが、魂レベルがもしかしたら上かもしれないが。
やっぱり人生を長く生きている方が、魂レベルが高い人たちも『それなりの人生経験』を踏んでいる部分をヒシヒシとわかる。だから、この領域の人たちは確実に年功序列思想。年上のほうがやっぱり偉い、この生に限っての記憶ある経験数が多いから。
で、このチルドレンたちは逃げない。
逃げないだけの力を持って生まれてきている。なにかしらの言い訳もない。
大事なのは「自分がそれである」ことではない。
大事なのは、自分がスターシードであることや自分がツインレイであることではない。
大事なのは「そういう人が存在している」という客体性にある。そして、そんな他人の人生を客観的に受け入れていく他者受容の世界にある。
自分を受け入れてもらう必要性はない。でも、自分が他人を受け入れる受容性が必要なだけである。人に受け入れてもらうために、スターシード思想があるわけではない。
自分が何をするのかを考えるために、スターシード思想がある。
で、今何をするべきかの指針のひとつに、この思想を提唱する。
スターシードたちが何をしているのか。何もしてないよ。マジで。
何もしてないし、ただ自分の人生を生きている。なにかの貢献しているのかっていうと、している意識はない。なにかを意識的にしているという感覚もない。
ただ、自分の人生を一生懸命生きている人が多い。あの世にかえれば経験が増えている。
その人生に横やりを入れている人たちは、本当の意味で何もしてない。経験が増えない。