ツインレイの闇とは罪悪感であるメカニズムの解説(闇の循環から光の循環へ切り替えていく統合時期)
ツインレイたちにとって『闇の刺客』とは、大いなる弊害として現れるわけだが、この闇の刺客については自分自身の具現化された罪悪感である。
私たちは生きているなかで罪悪感を抱えることが度々ある。その罪悪感をツインレイたちは他者へ押し付けることをせず、自分のなかにジッと閉じ込めている人たちが多いのではないかと考えている。
ツインレイたちは、ツインレイと出会う前までは『闇の循環』をしている状態であり、ツインレイと出会った後には『光の循環』をするようになる。
ツインレイのサイレント期間では、闇の循環から光の循環へ切り替える過度期とも言える時期として捉えると、ツインレイたちはサイレント期間で『闇の刺客と対峙し、闇を拭い去る』ことが行われていることがわかる。
サイレント期間にやってくる闇の刺客とは、私たち自身が抱えている見えていない罪悪感の火種をくすぐるような存在だ。
闇の刺客と向き合うことではなく、私たちは自分たちのなかに入り込んでしまっている罪悪感と向き合わなければならないのである。
闇の循環と光の循環とは?
闇の循環と光の循環の大いなる違いは、循環している『内容物』である。
闇の循環では『恐怖』と『不安』を他者に与え、罪悪感を生み出していく循環を持っている。
光の循環では『希望』と『安心』を他者に与え、幸福感を生み出していく循環を持っている。
このふたつの循環をしている基盤とは、潜在意識にある。
潜在意識が恐怖や不安を学習しているとき、他者へ与えるのは罪悪感である。もし、希望や安心を学習しているとき、他者へ与えるのは幸福感である。
闇の刺客は常に闇の循環を好み、闇の意識を使いながら、ツインレイたちが光の循環をしていくことを妨げようとする。
ツインレイたちは、元来、希望や安心を持って活動したい平和主義者たちに多い。ゆえに恐怖や不安を軸に行動をすることを好まず、恐怖や不安が自身のなかに介入しているときも外へアウトプットすることなく、闇の循環を停滞化させている。
闇の循環はツインレイたちのなかでは停滞化しているが、くすぶっていることには違いがなく、サイレント期間ではツインレイたちが抱えている停滞化した闇の浮き彫りが行われていくことになる。
闇の循環による『天使(不安)』と『悪魔(恐怖)』
闇の循環を主軸とする人たちを、私は天使と悪魔というカタチで分類化している。
天使は不安による循環を持ち、悪魔は恐怖による循環を持っている。
天使は不安による循環を持っている為、不安的な行動が多い。不安を感じているが為に自分らしくいることがなかなか難しい人たち——とも言える。
天使は『自分のおかげで——』という人の手柄を搾取するというカタチで存在している。
悪魔は恐怖による循環を持っている為、他者へ恐怖を与える行動が多い。人を傷つけることを厭わず、人の気を引く為だったら『なんでもやる』みたいな人たち。
悪魔は『あんたのせいで——』という人に自分の責任を押し付けるカタチで存在している。
天使と悪魔は不安と恐怖の種類が違うが、それは表面的な見え方であり、内面的には天使のなかには悪魔の意識(恐怖)があり、悪魔のなかには天使の意識(不安)が存在している。
そして、天使と悪魔の行動はどちらも他者への影響として『罪悪感』を与えることになる。
ここで、ツインレイたちは天使と悪魔による悪の意識により、闇が心のなかに発生するのである——。
ツインレイの闇の刺客と罪悪感の相関性
闇の刺客たちが行っていることは、ツインレイに対して『不安や恐怖を与える』ことである。そして、そこに『罪悪感』を持たせていくことに意味がある。
闇の刺客たちは、自分たちが抱えている不安や恐怖を抱えきれなかったり、向き合うことが出来ていないために、他者に向かって不安や恐怖を与えては闇の循環を齎している存在である。
闇の刺客のうち、天使とは偽善的な行いが増え、他者に過剰なる奉仕が行われる。
このとき、ツインレイ側は『与えられる』ことになるが、その与えられたものに対して罪悪感を感じる瞬間がやってくる。
いらないものをもらったはいいけど、捨てるのが申し訳ない、とか。
最終的には天使の偽善は、他者に罪悪感を芽生えさせてくる。
もちろん、与えているだけあって天使は悪くないのである。もちろん、表面的に悪くはないが、その行いの根源にある動機は不安による実行があることで、他者は罪悪感を感じざるを得ない結果となる。
闇の刺客のうち、悪魔とは悪意ある行いが多く、他者に対して傷つける行為などを繰り返していく。
人を傷つける行為の中でも、手段を選ばず、相手を悪い人間へと仕立て上げる為には嘘も吐く。
ツインレイ側は『悪意を与えられる』わけだが、その内容にツインレイ側に悪意がないものであったとしても、悪魔はイケシャアシャアとツインレイたちを悪い存在へと仕立て上げていくものだから、私たちにも罪悪感というものが芽生えてくる。
この両者による共通要項は『自分は悪くない』である。
自分は悪くない。だから、相手が悪い。というカタチにどちらも仕立て上げていくことになる。
悪魔のタイムライン構成
悪魔が標的とするのは、光の循環による『安心』である。同一である恐怖と安心は過去に起因する。
過去の発言、行い等に対して『悪意がある』という形に悪魔はすり替えていくが、当人に悪意がなければ罪悪感を感じる必要性はない。
が、悪意があるという形へすり替えられるので、罪悪感が生まれる。また、未来に対して予期不安が生じるため、何もできなくなる。
いわば、これが悪魔のやる『未来を奪うこと』であり、過去からの攻撃であり、今を罪悪感で埋め尽くすということだ。
悪魔がやっていることは『闇の循環の今(罪悪感)へとどまらせる』ということである。
天使のタイムライン構成
天使は未来の『希望』に対してアクションをかける。天使は不安を希望にすり替えていくために、ツインレイたちへすりより、自分を希望へとすり替えていく。
ツインレイへ刷り込みができた段階で『悪魔』を持ってくることにより、敵を生み出す。敵を生み出すことで、不安が生まれ、その不安となる天使が必要とされる——という『自分のおかげサイクル』を生み出す。
このサイクルによって、ツインレイを闇の循環へ引き戻すように働いている。
天使がやっていることは『闇のタイムラインへ引き戻す』ことである。
天使と悪魔の協力体制
天使と悪魔は協力体制にある。
天使側は、ツインレイに対して密接な関係性を持ち、偽善的な行いによる『自分のおかげで——』というエネルギーにより、罪悪感を生み出していく。
ツインレイたちは人に感謝している気持ちがあればあるほど、人に対しての礼儀を弁えたり、人のおかげをないがしろにすることができない。その部分を突くかのように『天使のおかげ』だから〇〇するのは悪いことだというような罪悪感を覚えるようになる。
これが『偽善による罪悪感』である。
その罪悪感がツインレイたちのなかにあれば、外部的に悪魔が罪悪感を与えるようなことをすれば、ツインレイの精神はすぐに立ち直れなくなっていく。
悪魔は天使によりツインレイへ与えた罪悪感をツールにして、罪悪感を具現化させ、表面化させていく役割を持っている。
天使は内側からジワジワと『善を装う』ようにして、罪悪感を与える。普段は視えないような領域に天使側はツインレイへ罪悪感を与えている。
悪魔は、天使により入れこまれた罪悪感を具現化させ、ツインレイを破壊する役割を持っている。
悪魔のほうが明確に破壊行動をしているが為に、悪魔の方ばかりに気がいきやすい。
しかし、悪魔を除去するのではなく、大元となる天使の『偽善により生じる罪悪感』を除去しなければ、悪魔による攻撃を常に受け取り続けることになってしまう。
これは、ツインレイ自身に『罪悪感』がひっそりとして存在時している限り、悪魔はその罪悪感を利用し、闇のエネルギーをツインレイへ流し続けることができる為である。
天使は、ツインレイの精神に穴をあける係。
悪魔は、ツインレイの精神に罪悪感の闇のエネルギーを注ぎ込む係。
役割分担が成されている。
天使と悪魔による協力体制により、ツインレイは再会へたどり着けないような事態になる。
闇の強敵は『幸福感』にある
悪魔も天使も手出しできないタイムラインがある。
つまり、そういうことなんだ。
光の循環のなかで『幸福感』というものに、天使も悪魔も手出しができない。
天使と悪魔が手出しできるのは、未来の希望を潰すことと、過去の安心を潰すこと。
天使と悪魔も時には一緒に『幸福感』を味わったことがあったと思うけど、それって自分一人で生み出せないから天使と悪魔はツインレイたちへくっついてくる。
ツインレイたちが何をしなければならないのかっていうと『幸福感』を自ら生み出し、たったひとりだけでも幸せになれるってことを確実に実行することができるようになってようやく闇の刺客が消えていなくなっていくんだ。
- 自分の集中する
- 自分の好きなことをする
- 自分がやりたいようになる
今、自分が幸福になるものだけを選んでいけばいいんだって思う。
そうしているうちに、光の循環サイクルの方へ移動していくことになる。
そのうち、過去に安心感が芽生え、自分は間違ったことはなにひとつしていないと心から実感できるから、誰かに攻撃されても気にならなくなってくる。
未来には少しずつ希望が見えてきて、どうやって生きていくのかの指針は安心感をベースに構築されていくことになる。そのひとつにツインレイが組み込まれているのである。
罪悪感に縛られたツインレイはどうなるのか
罪悪感に縛られたツインレイや、そもそも罪悪感を抱えまくっている闇の刺客たちは、過去に縛られるようになる。
そして、未来に希望が持てず、不安を抱えながら生きていくことになる。
ツインレイたちがどうしてサイレント期間に闇の刺客に足止めを食らうのかといえば『過去に縛り付けようとしている』からである。
罪悪感は何度も繰り返し、自分のなかへ記憶の定着を行うために、過去の記憶が忘れることが出来なくなる。
前は違う意見だった等、闇の刺客などは記憶力が良い。理由は過去に縛られ『生きている実感』が失われる為である。
忘れるとは生きているということだ。しかし、闇の刺客は忘れない。理由は時間がそのまま停止しているためだ。
つまり、サイレント期間で闇の刺客に足止めを食らった場合、そのまま、罪悪感を乗り越えることが出来なければ、ツインレイは時間が先に進まないためにツインレイの再会はやってこない——ということ。
ツインレイたちは罪悪感を持たない覚悟をする
闇の刺客たちは『自分は悪くない』という主張が強い。ゆえに自分が悪くない方向性へ持っていこうとするが、心を騙すことは出来ない。
いわば、そこに罪悪感があれば、それだけ『自分が悪い』のである。
しかし、ツインレイたちは共感性を発揮して『相手の罪悪感を引き受けて自分のものにしてしまう』という気質がある。
ツインレイ女性は特に、主体性がない。自分自身の軸がないために『相手の存在を受け入れること』に長けているが為、相手が罪悪感を抱えていれば抱えているだけ、受け取ってしまうメカニズムにある。
ツインレイ女性が持たなければならないのは『罪悪感を持たない覚悟』である。
自分自身の行いや発言、それら諸々に対して、ツインレイ女性たちは悪意を持ってのことでなければ、罪悪感を持たなくていいのである。
しかし、罪悪感を持ってしまい、最終的にはツインレイたちがすべてを背負うようなカタチへ着地してきた状況を、終わらせていく必要性がある。
闇の刺客は、堂々としている。いや、私からすると「そんなんで堂々としてたら恥ずかしいな・・・・」っていう感じなんだが、ツインレイこそが堂々としているべきである。
私がとった手法はお釈迦様戦法である。
いらない贈りもの(言葉や投げつけられる石)はいただかなければいい。
受け取らなければ、罵詈雑言であろうが、念であろうがなんだろうが戻される。
ツインレイが闇から光の循環へ戻す統合時期の経緯
ツインレイたちは、闇の循環のなかにいる。
ツインレイのサイレント期間のなかでも後期にいたるまでは、闇の循環の中におり時間の停止感覚がぬぐえない。
感覚としては覚醒時期に差し掛かっていくときに『闇の停止』であり、統合時期に入ることで『光の循環』へと移行していくような感じだ。
サイレント期間の中期『闇のゾーン』
サイレント期間の中期では、闇の刺客から不安や恐怖を受け取る役目をツインレイたちは行っているが、ツインレイたちが引き受けなくていいものでもある。
今まではツインレイたちが過剰な分の不安や恐怖を抱え、自分が抱えるべきものを他者に押し付けている人たち(闇の刺客)を容認しているような状態でもあった。
であるがゆえに、闇の刺客とさえ呼ばれるような自分が抱えている恐怖や不安を抱えることができない人たちが増えてしまったように思う。
この状況から脱却するには、先ず、闇の刺客たちに『自分が背負う分は自分で背負わせる(強制)』というカタチを持ち、ツインレイたちは『自分たちは一足先に幸せになる(強行)』というカタチになっていく必要性があるのではないかと思う。
そのためには、先ずはツインレイたちが闇の循環を停止させ、次に、ツインレイのなかにある闇の意識を輩出し、最後に光の循環へ切り替えていく必要性があるように感じられる。
サイレント期間の後期、覚醒時期
このサイレント期間の中期を抜けていくと、後期へ差し掛かっていく。このときを覚醒時期として捉える。
後期に差し掛かると、闇の循環による繋がりが絶たれていくことにより『闇の停止』が始まる。
不安や恐怖を払しょくし、罪悪感を抜き取っていく経緯が始まるが、まだ覚醒段階では闇の罪悪感の感覚は感じ取るようなことはない。
ただ『方向性が定まっていく』ような感覚がある。
罪悪感を受け取らないというノーの姿勢が出来上がっていく。
サイレント期間の後期、統合(循環)時期
この統合時期に差し掛かり、ようやく浄化が始まっていく。
それは希望や安心が生まれ、幸福感が生まれていくと代償のように闇により差し込まれた不安や恐怖による罪悪感が抜け落ちていくのである。
罪悪感を抜けば、幸福が入り込む。そんなサイクルが始まるのが統合たる循環の時期である。
そのためには、先ずは罪悪感に気づいていく必要性があるのがこの時期であり、他者による罪悪感が入り込んでいた分だけ、そのツインレイは『空洞』が存在し、その空洞へ幸福が入り込むとして考えられる。