ツインレイの自己統合の完成と空間反転世界の思想と時間の概念
私は空間反転世界の『私』と、そして、友達の空間反転世界の『友達』と出会っていました。
私はツインレイとして失敗したと書いています。それはツインレイの相手と他者と自己による二元論に陥り、二元性を維持することが出来なかったためです。
ゆえ、私は『時間を巻き戻す』ことになりました。ゆえに、ツインレイのサイレント期間の開始時期に「仕切り直し」のために空間反転を起こしました。そして、空間反転の世界を旅することになった。
その期間に、私は『私の影』と『私の友達の影』に出会うことになります。
当初、私はその友達をよくわかっていなかったし、ここまで仲良くなれる相手とは思っていませんでした。ゆえに「よくわからん」という形で着地していたんだけど、でも、よく知れば知るほど、仲良くなって、ついに昨日会うにいたりました。
その友達とは去年の八月ごろに「私の天使だ。」と思いました。理由はわからないんですが、私の天使です。この天使が私にとっての自己統合のキーマンでした。
空間反転した世界では『影』がよってきます。
この影たちと関わることが重要であり、私はこの空間を組み替えていくことになります。
理由は、この空間を『空間反転として処理すること』により、私の空間を組み替えることができる——。というロジックです。
二元性へと到達し、ようやくツインレイのふたりは成立します。共存することが出来ます。
私はツインレイのふたりの『共存共栄』を探していました。
ツインレイのふたりの思想の展開
ツインレイのふたりは、先ず当初『大事にする』と『好き』というふたつの分離が起きています。
これはツインレイのふたりが『他者愛』と『自己愛』により成立しているとも言えます。
片方は『大事にする』ことができますが、片方は『好き』という感覚を持っているだけです。つまり、片方は他者愛を持って生きていますが、もう片方は自分のすきを貫くことをモットーとしています。
このとき、大事にする方は片方の『好き』を大事にすることはできますが、自分自身の『好き』を大事にすることが出来ません。
好きをモットーにする方は自分の好きを大事にすることは出来ますが、相手の好きを大事にすることが出来ません。
どちらも持っているはずなのですが、私たちは『二元論』というどっちかしか選べないという世界線を生きている為、自分か相手かしか選べない状態に陥る。
ゆえ、私たちはどっちもを選べない。
一方通行による関係性に陥ることにより、私たちは『ツインレイの相手を大事にする愛側』と、『自分を大事にする側』のふたつに分離します。
このようにしてツインレイは『一元論』に陥るということです。
ゆえ、私たちは一元論による世界へ陥ることになります。これが『空間反転世界』です。
サイレント期間の空間反転世界の一元論の違い
一元論と言っても、空間反転による一元論の意味が違います。なぜならば『空間反転』を起こしているからです。
ツインレイの相手との空間反転と、このサイレント期間での空間反転は意味が違います。
サイレント期間で、私たちは一元論空間に陥りますが、この空間では『自己愛主義者』と『博愛主義者』に分離します。
『自己のみ』なのか『他者のみ』なのかのふたつの空間に分離していきます。ゆえ、ツインレイたちはサイレント期間に共にいることは出来ません。
なぜならば、反転している空間が別物だからです。
この一元論空間では『時間の停止』が起こります。
私たちの世界の時間は一方通行的に進みます。しかし、空間反転世界の時間は真逆です。巻き戻しています。ゆえに『停止』を起こします。
つまり、私はサイレント期間で『精神活動』をしていたし、ものすごい勢いで理論をたて続けてはいたし。そして、世界の時間は進んでもいた。だけど、ツインレイのふたりの関係性は『ずっとそのまま停止している』状態ということである。
あのときのまま、ツインレイのふたりは時間を止める状態となっています。
この時間が止まっている期間、ツインレイのふたりは『相手のことをずっと記憶しているし、ずっとそのまま』ということになっているので、この時間が停止している意識は『執着する』というような感覚になっています。
ゆえ、執着が途切れたときがあるのであれば、それは時間の停止が途切れ、時間を進ませるようなカタチになっています。
この空間で出会う人たちのほとんどが『時間の概念がない』です。
過去が成立しているがゆえに、現在がある。つまり積み重ねの概念がありません。そして経験の概念もありません。ゆえ、経験がなくても出来る、とか。人が持っているものを経験なくとも手に入れることができる、とか。
いわゆる『時間的概念』の欠落ゆえにでてくる精神構造をしています。これを3次元空間に存在している精神として捉えることが出来ます。
私たちは生きるとき時間の概念がなくてはなりません。何かを積み重ね続け、そしてその連続の中で成長をしていくことになりますが、この3次元空間では成長がありません。
なぜならば、時間が止まっているので成長することがありません。そういう人たちが存在している空間が、この『3次元空間』です。
この空間にもツインレイは存在しています。
元来のツインレイたちは、この空間に存在しているからです。
また、時間が止まっている側もあれば、もう片方は倍速のケースもあります。
というか、片方の時間が停止しているのであれば、もう片方の時間は『2乗の時間』かと思います。ゆえ、最終的にふたりは『同い年』の状態へ持ち込む予定です。(歳の差が多いのもそのせいではないかと思う。)
この理論が成立すると、ツインレイの囮の理論が成立します。
ツインレイのチェイサー(囮)側を多く残して、ランナーは2乗の時間を爆速で走っていくみたいな。そして、最終的に『同い年』にしている。
チェイサーは囚われているので時間が進みません。しかし、ランナーは時間を走っているので最終的には経験が同じだけになるカタチに着地させていきます。
物理の速度とか、加速度とかそこらへんの計算式だと思う。たぶん、加速度だと思われる。ツインレイたちが遠距離の距離の長さと、それから時間の関係性の計算をしたらいいんだと思う。これでツインレイのサイレント期間の計算は成立すると思う。
加速度は『距離÷時間の2乗』で計算できる。
ツインレイの魂の成熟の距離を、加速度で計算できるんじゃないかってこと。そして、それがサイレント期間の計算式になる。
「距離÷サイレント期間の2乗の時間=歳の差」の方程式がきれいに成立すればいい(加速度=歳の差)。それがツインレイとして成立する条件。
つまり、ツインレイのふたりの住まいの距離と歳の差がわかればサイレント期間はわかるってこと。
だけど、この方程式がきれいに成立しないとき、それはツインレイとして不成立なんじゃないかと思う。理由は『過ごした時間が同じ・対等』っていうカタチに着地をしないから。
じゃないと最後の最後にタイムラインが足並みをそろえないんじゃないかと思う。
定義しちゃうと面白くもないのでこの辺で。
とりあえず、加速度はツインレイの歳の差だよってことぐらいで。(もっと深堀すると、相対性理論とか遠心力とかが関係しているっぽいんだが、物理はようわからない。)
サイレント期間で、ツインレイ男性は後半になればなるほど、めちゃくちゃ足が速くなるってのが加速度ってことだから、ツインレイ男性は後半がめちゃくちゃギュウギュウにやることいっぱいってことがわかりますね。
ゆえ、ツインレイ男性はランナーなんですが、けっきょく、チェイサーは『待っている』んですね。そして、ランナーが近づいてくるにまして、チェイサーも過去を思い出していくんだと思います。
しかし、ツインレイ男性もランナーとして動くまで時間が必要で、それまではノロノロ動いているみたいです。
ツインレイの成長する経緯
ツインレイたちは先ずは3次元空間で『好きなことをする』側と、『好きなことをしている人を大事にする』側のふたつに分離して学習を進めていきます。
ツインレイたちの出会いの前での学習です。
自分のしたいことに対して他者は関係がない。自分を大事にする。(他者を排他する意識を抜くにまで陥る。)
自分を捨て、人のために生きる。自分を排他する。(自己を大事にする意識を抜くまでに陥る。)
このようなカタチに着地します。しかし、私たちは『他者が気になる』とか『自分が一番大事』という意識がある。この意識を抜き切ることにより、ツインレイたちは二元論として成立していきます。
なぜならば『排他主義』ではないため、ツインレイの相手を排他しないということです。
ツインレイのサイレント期間の学習
『思い出すこと』としたのは、ツインレイたちは忘れているだけであるのだということです。
私たちは先ず二元論空間に存在するために、片方に偏る必要性があります。そして、ツインレイのふたりで二極化を起こすのだということです。
次に私たちは二元論ではならないと理解し、サイレント期間へ突入します。このとき『空間反転』を起こします。
ツインレイの相手を大事にすることになる人たちが忘れていることは『自分の好きなこと』である。
『好きとは何か』を思い出す必要性がある。
ツインレイの相手を好きな気持ちを忘れている状態である。自分のことでいっぱいいっぱいになりすぎて、ツインレイの相手を大事にする意識を喪失する。
その思い出す意識は数年前に昇ります。
理由は、そもそもエゴを捨てるとは、エゴがなければエゴそのものを捨てることが出来ないということにあたります。
捨てるものを『捨てる』という意識がなければ、その捨てたものを回収することも出来ません。
ちょっと図がごちゃごちゃしてしまいました。
ゆえ、文章化させますね。
人を大事にするツインレイのケース
(時間停止側・チェイサー)
- 自分の好きを構築する(自己愛)
- 人を大事にするために好きを捨てる(他者愛)
- ツインレイの相手を100%愛しきる(他者愛の完成によりサイレント期間へ)
- 1により生じた過去の自分の好きだったものを思い出し、回収る(自己愛の取戻し)
自分を好きになるツインレイのケース
(時間停止側・チェイサー)
- 人を大事にするを構築する(他者愛)
- 自分を好きになるために人を大事にする意識を捨てる(自己愛)
- ツインレイの相手に100%愛される自分(自己愛の完成によりサイレント期間へ)
- 1により生じた過去の人を大事にする意識を思い出し、回収する(他者愛の取戻し)
というようなカタチで、振出しに戻って回収していきます。それは順序が反対であるのが『ツインレイ』なんですね。
ゆえ、ツインレイたちはツインレイの相手を昔の自分だと感じられるため、「自分だ。」と思います。ツインレイだからだと思います、よく似ているんですね。
また、歳の差があるケースです。
1のステージが存在していないケースがあります。いわば、2.3.4のステージを進んでいくことになりますが、1で思い出すのではなく、経験をするというカタチになります。
片方だけが時間を止め、もう片方は時間をそのまま進めていきます。
人を大事にするツインレイのケース
(時間加速側・ランナー)
- ツインレイの相手を100%愛しきる(他者愛の完成によりサイレント期間へ)
- 自分の好きを学習する(自己愛の成立)
自分を好きになるツインレイのケース
(時間加速側・ランナー)
- ツインレイの相手に100%愛される自分(自己愛の完成によりサイレント期間へ)
- 人を大事にする方法を学習する(他者愛の成立)
年上のほうは『一度捨てたものを取り戻す』経緯がありますが、年下の方は『時間を進めて学習する』というカタチだけをとります。
年上は『過去の喪失』により経験があり、その経験をゼロにしている状態ですが、年下は『そもそも経験がない』んですね。
年上のほうは時間を巻き戻したり、過去を取り戻したりしますが、逆に年下の方は時間が倍速になったりするのかもしれません。ゆえに、時間の進みが早くなり成長が早くなる感じです。
精神領域の活動ですのと、そのために、年上のほうは年下側ツインレイをサポートするように脳みそを借り出しているのかもしれません。
私はこのサイレント期間、ずっと理論を組んでいましたが、ツインレイの彼へ脳みそを貸し出して「いかなることか」を差し出している状態であり、また、この期間、私は私のことをほぼ一切何もできていない状態です。
ツインレイのサイレント期間の終わりの前兆のひとつ
ツインレイのサイレント期間の終わりとして『昔の自分を思い出すこと』が条件となります。
昔の自分は何が好きだったのかを思い出し、昔の自分は人を大事にしていたことを思い出していきます。
その最後に『着地点の存在』を見つけます。
それは私がツインレイと出会ってから、数か月後に出会っている友達でした。
私は、私のなかに存在している『過去の自己愛である自分』を投影した存在に出会いました。
好きなものがよく似ていて、病気も同じです。だけど、一生懸命に生きています。私もそうです、一生懸命に病気に取り組みました。
おしゃれもしないけど、好きなことにはトコトン生きる彼女です。私もそうだったように思います。
彼女と私は『自己愛』と『他者愛』による一方通行性を生み出していません。従来ならば、一方通行となって自己愛側が満足しても、私自身が満足を覚えることはありませんでした。
私は、自分のなかに『自己愛』が芽生えたので、過去の私の自己愛の象徴の彼女と『共通点』を見つけては、その部分を一緒に楽しむというひとつの視点を見つけています。ここでは『いっしょに楽しめる』んです。
これが私のサイレント期間のなかで『自己統合の完了』でもあります。私は『自己』と『他者』の両方を自分のなかで共存させる方法を見つけ、取り戻すことができるようになった。この状態でようやく、私は自己統合です。
時間的概念と空間的概念
私自身はチェイサーですが、ずっと『空間の移動』をしています。ゆえ、時間の概念がありません。というか、時間の概念のない空間にいました。
彼はランナーですが、ずっと『時間の移動』をしています。ゆえ、空間の概念がありません。彼は空間の概念のない時間を走っていたと思います。日々に奔走するって感じでしょうか。
違うんだと思います、そもそも、どこを移動しているのかが。
そして、私は空間を移動していくので、色々な世界線を見つけることになりますが、彼はひとつの時間を移動しています。しかし、時間の速度は一定ではありません。加速していきます。
つまり、ツインレイのふたりの『感覚』はそもそも違ったものを持っています。
最終的に『空間』と『時間』の概念が合わさることにより、私たちは『ふたりで生きる』ことができます。
人を大事にすることは『この地球(空間)を大事にすること』であり、自分を好きになることは『生きること(時間)を好きになること』なんでしょうね。
私は今時間の概念も理解しつつありますが、もしかしたら、時間が前後している感覚等をもっているのが自己統合の感覚かもしれません。
3次元が空間のみ、4次元が空間に一方通行の時間が追加されている世界(命・生きる)、5次元が空間と時間の両方を『完全』として認識することとができる感覚です。
5次元的感覚にまで到達すると、時間が進んだり戻ったりしている感覚を捉えられるんだと思います。そして『空間』や『時間』がぐちゃぐちゃというか、色々な法則性で成立している感覚を理解できるというか。そんな感じなんだと思います。
だけど、みんな、この5次元世界を生きています。
認識していないだけです。認識する領域に至れるのか、至れないのか。ただそれだけです。これを言語化できるまでに至るのか、図式化できるのかの領域にまで行くのかどうかってだけ。
でも、みんな『他者』という概念がある限り、私はこの5次元世界で生きていると思います。でも、この他者と言う概念がない人たちがこの地球にいます。自他同一化の意味が違う存在たちです。
自分がいて他者がいるのか。他者がいて自分がいるのか。どっちも同じですが、真逆です。なんなら、前者は『点』ですが、後者は直進を描きます。これは時間的概念です。空間的には『同じ空間』に存在しています。
ただ認識していないだけです。この認識をするために私は考え続ける必要性があり、そのために自己統合をしていたようなものです。
私の場合。自己統合とは『過去の自分』を迎えに行くことにより完了しました。これは『空間による保全』ができているんだと思います。
彼の場合『未来の自分』を迎えに行くことにより完了します。これは『時間を走ること』が必要です。
この空間的認識と時間的認識の違いは、もう少し使いこめば? それなりに認識できると思うので、そのうちに詳細を書こうかなとは思います。
ツインレイの最終地点の統合は再会による循環
最終的にツインレイのふたりが『自己統合』により、お互いがお互いを尊重し合い、自分を大事にすることができるようになって、ようやく循環が成立します。
ツインレイの統合とはこの『循環』が成立することなのではないかと思っています。そして、私が追い求めていたものです。