自己統合は分離を内包していく経緯にある
いわば、どの次元までの問題を責任をとることができるのか。それが次元的理解にあり、また自己統合の種類でもある。
時間的概念 | 次元 | 自己統合の種類 |
---|---|---|
欲求 | 3次元 | 自分の欲求の責任をとる |
生死 | 4次元 | 自分の人生の責任をとる |
前世と来世 | 5次元 | 他人の人生の責任をとる |
自己統合とは『責任をとる』ことだが、その責任とは分離により生じることになる。
次元 | 時間的概念 | 分離内容 | |
---|---|---|---|
3次元 | 欲求 | 好き(肯定) | 嫌い(否定) |
4次元 | 生死 | 生(過去) | 死(今) |
5次元 | 前世と現世 | 自己(現世) | 他者(前世) |
私たちはどれかに偏ることになる。3次元で『好き』をもとに生き、4次元で『生きる』を選択し、5次元で『自己』を選択した場合、その経緯で反対側の『嫌い』『死』『他者』をすべて内包し続けている。
この地球は3次元~5次元で成立している。同じように、私たちの精神領域も次元で解釈するとき、3次元~5次元により成立していると考えてしかるべきである。
その三つの意識レベルによる自己統合をすることにより、次元的な精神を凌駕し、管理することができるようになる。
いわば、私たちはこの地球のベクトルによる『管理者たる霊』を構築しようとしている。
欲求による自己統合
欲求による自己統合では『すき』と『きらい』による自己分離状態から統合する経緯を経ることになる。
根源にある人間的な嗜好レベルを3次元とし、その嗜好は『肯定』と『否定』と人は認識している節がある。
なぜならば、人は無駄に知的生命体であるためだ。
動物ならば、欲求のまま走るところがあるが、私たちには知性がある。ゆえに知性があるがゆえに好きと嫌いを『肯定』と『否定』とし、無駄に問題をぐちゃぐちゃにしては知性的に肯定をし、知性的に否定をするようなところがある。
そもそものところ、好きと嫌いは知的なことに関係性がないことを『知性』で理解しようとするところがあり、問題はここにある。
好きと嫌いを『否定』と『肯定』で認識している限り、欲求による自己統合は成立しているとは言えない。
なぜならば、欲求による自己統合を経た段階で『欲求のままに生きること』を否定とし、『人間的に生きること』を肯定とするためである。
いわば、人間的に生きることを否定し、欲求のままに生きることを肯定するような人生を送る場合、来世は望みのまま動物となるという経緯が生じる。私たちは常に『望みのまま』である。
欲求による自己統合の経緯では、先ずは『好き』と『嫌い』を明確に理解することでもある。しかし、人は『肯定』と『否定』を好き嫌いと認識するようにしてアイデンティティを構築する為、そもそも『好き嫌い』が分からない状態となっていく。
そして『好きなものは善』とし『嫌いなものは悪』として定義されていく。
そのふたつを『自己のなかで共存させていく』ことにより、欲求の統合が成立していくことになる。
また、この好き嫌いの自己のなかでの共存は『嫌いな悪との共存』であり、世界もそのようになっていく。
生死による自己統合
生死による自己統合の段階では『生きる』か『死ぬ』かの分離が生じる。
過去に起こした問題と、今生きている現在という分離が生じるとき、私たちは『過去の問題をなかったことにする』わけである。
いわゆるここで『自己都合主義者』が成立することになる。このとき、経験は生かされない。
今は死んでいる為である。
過去を『善』とし、現在を『悪』として、分離状態となっていく。
このふたつを統合していくことにより、過去と現在を共存させていくことになる。いわば、経験を経験とし、過去をもった現在の自己となる。
前世と来世による自己統合
前世と来世による自己統合とは『自己』と『他者』である。前世は『他者』の役割を果たし、『自己』は自分の役割を果たしている。
前世たる自己は世界における『他者』であり『ツインレイの相手』とも認識されるが、それは自分自身が持っている『他者』という意識である。
つまり、他者とは自己であるということ。
先ずは『自分』を育てる経緯で『他者』が存在しており、その他者とかかわりを持っていくことになる。すべてが自己により派生した他者なのである。
最終的に私たちは自己を成立させたとき、自己による他者をも成立させる。ツインレイと出会う経緯で、他者という意識体となる私たちは『他者として自己と向き合う』ことにある。
その自己とは4次元における自己(自分の人生の責任)、3次元における自己(自分の欲求の責任)である。
ツインレイが経験する三つの自己統合の段階
ツインソウルの段階
ツインレイと出会う前に『欲求』に関するテーマによる出会いが生じます。
欲求による代償を3次元で受け取ることになる。この考え方は『正しかったのか』ということだ。
肉体的な損傷などが代償となる。
ツインフレームの段階
次に、『人生』に関するテーマによる出会いが生じます。
人生による代償を4次元で受け取ることになる。今までの生き方は『正しかったのか』ということだ。
時間、精神、そして人生などが代償となる。
ツインレイの段階
最後に、ツインレイと出会い、『前世』に関するテーマによる出会いが生じます。
前世による代償を5次元で受け取ることになる。自己という存在は『正しかったのか』ということだ。
他者との縁が代償となる。
人生のなかで『欲求』『人生』『人との縁(他者)』という三つを代償にし、ツインレイたちはステージをあげていく。
魂の自己統合までの経緯
最終的に私たちは『魂としてのアイデンティティ』を構築し、6次元意識へ到達することになる。
しかし、手元に残っているものは『何もない』のが現実である。
自己統合とは『自己のみになる』ことであり、ツインレイの自己統合は『魂の自己のみになる』ことである。この孤独を手に入れることがツインレイのアイデンティティである。
それから私たちは、分離した対象である反対側を最終的には内包していくことになる。
欲求により生じた責任をとることが生じる。私たちが衝動的に起こした問題について責任をとることにより、私たちは3次元レベルの時間的な概念のない感情を取り戻すことができる。
次に自分の人生についての責任をとることが生じる。今まで生きてきた経緯をもって私たちはアイデンティティを構築している。しかし、そのアイデンティティが崩壊する事態となるが『それでも自分は自分である』という確固たる責任を持つことになる。
そして、自分の人生により生じた善と悪の二極に分離している問題の両方を受け入れることができるようになる。いわば、嫌われることを受け入れていくことになる。
ツインレイの段階で生じた『自己による他者』という自分の客体の責任をとることになる。今まで私たちは生きてきた経緯で『他者』という存在がいたが、そのときに多くの嫌な出来事もあったりしたが、そのすべては『自分であった』とし、すべては自己責任の人生であったことを受け入れていくことになる。
いわば、他者とは『前世の自分』であったのである。
この経緯を受け止め、そのすべてを丸ごと背負うことにより、ツインレイは『魂』として統合された存在となる。
最終段階における『魂の自己統合』は、他者となる『前世の自分』を私たちは『ツインレイの相手』として認識している。
ゆえに、ツインレイの統合とは『魂の自己統合』ということになる。