人柱という龍とツインレイの関係性
今日は人柱について書こうかなと思う。
こちらのブログさんがとても分かりやすく説明してくれている。
実は私も人柱って立場にいるので、この件について触れようかなと思います。
もちろんツインレイの方々のなかにも絶対に多いと思われるから知って欲しい思想のひとつである。
人柱とは何か? っていうと、すごくメジャーなものでいえば、なにかの建造物を建てる時などに生きている人間を捧げることで『人柱』となる。
これはもういかなる各国の歴史の中には生贄という概念で存在していると思う。今ではロマンス小説と言うべきか。そんなお話のなかにも色々と生贄のお話が書かれているよね。
人柱とは、人が生贄になることにより、その人が守り神になるっていうお話でもあるんだ。
これは人が神になるってこと。
だから人柱は死後、守り神になるから『神さま』ってことなんだよね。
たいていが子供かもしれない。『おまえはみんなのために死ぬんだぞ』ってことを幼少から教えて育てていくかもしれぬ。
嫌がるような知恵を持つ前に捧げられると思う。
これが基本的な思想。
この思想は現代でも引き継がれている。
というか、誰かが家のなかでひとりが犠牲になることで成り立つおうちってあるよね。
そういう場合、誰かを犠牲にして皆が成立、家族を守るっていう人柱が成立する。
たいてい、家族のなかで一番に優しい子、一番に徳が高い子がこのポストにはいると思ってる。つまり家系の中で一番に優れた子がこの人柱になる。
ずっと子供のままだから純粋だと思う。
それは周囲の人が望んで人柱にすることもあるし、自ら人柱になるケースもある。
家系のなかで、人柱が生きている時代にふたりの柱は立たないから、人柱がバッティングすることはない。
だから家系のなかでは一番のゴミクズみたいな存在になるのが人柱。で、そのような人生を望まれる。
いわゆる犠牲者だよね。
世界の概念が、神と救済されたい人っていう形で構築している家系のなかでは『神』として人柱が必要。(そもそも人柱役の子に地獄を見せなきゃいいんだが、それが出来ていない現状。地獄を教えてしまうから、人柱の子は人柱として立たされる。)
この神とは昔はダイレクトに『死』によって行われてきたんだが、現代は『生による死』によって行われている。
つまり生きていることが死であり、死ぬことが生である――っていう考え方が現代の人柱かな。
これってうつ病の視点なんだよね。だからたいてい人柱はうつ病やってると思う。
誰かの犠牲になることはうつ病になるってことだな。そもそもそんなんだったら死んだ方がマシだと思うような状態で生き続ける。
これが現代の人柱。死んだ方がマシなのに死ぬ事が許されないから、自分が犠牲である、人柱であるってことを受け入れて生きたのが私。
ちなみに社会にでても犠牲に回るって感じかな。そもそも存在自体が犠牲の存在だから家庭でも社会でも犠牲として扱われる。
だからほとんどの悪いことは自分に回ってくる。やりたくないことを押し付けたり、分が悪いだなんて日常茶飯。
こういう人柱は、家にひきこもってるし、ニートも多いし、なんなら家の守り神だからね。自宅警備員だと思う。
家庭のなかでも負の感情とかもほとんど人柱が背負うことになる。背負ってもらうかわりに周りの人はお世話しないといけないのもひとつのルールだと思われる。
自分の手に負えない不の感情とか、因縁とかを全部背負ってもらっているから皆元気で過ごせてる。
だから無自覚にも皆がお世話してくれる。
でも見下されたりとかも多い。理由は支配欲求とか優越感とかを全部、人柱に満たしてもらうことで家族が成立しているのも理由。
人って自分よりもダメな存在が必要だし、自分よりも劣等した存在が必要。だから、その『劣等』を全部、体現しているのも人柱の役割。
人柱はそういう人の思いを全部背負って体現することで皆の心を保つような役割してる。
つまり人柱は劣等した存在でなければならないんだけど、人柱だって人間ですからね。人としてのプライドだってある。
ただ、人柱がするべきことは人よりも劣位になることで、全力で人を下から支える役割を全力で担うことなんだ。
プライドなんてかなぐり捨てて「ゴミです!」を全力で全うし、自分のくずを最大限に活かし、人を肯定してあげる役割を担ってる。
だから人柱は人を認めることが得意だったり、自分よりも人を優先するっていう優しい気持ちがある人の方が多い。
たいてい実家は抜けられないよ。そして本家に生まれやすい。本家の家を守ってる。体の故障は家の故障。
先日、雨漏りがあったんだが、やっぱり私の肉体のうち、ある場所が雨漏りになってるから、家と肉体がほぼ一体化している状態なんだなーと自覚。
友達が私の部屋に遊びに来ると「めっちゃ落ち着く」とか「神聖なお部屋」みたいな感覚がするらしい。
たぶんその部屋、神おるで。あたいや、あたい。w
そして家のなかの住人の責任の、見えないものなどもほとんどの管理を人柱が行う。なんせ神だしな。
家のなかに幽霊が入ってきてしまったら、その幽霊を背負うのが人柱で、住人が悪感情に溺れてしまったら、その感情を一手に引き受けるのも人柱の役割。
ただ、人柱の役割を、やっぱり人は人だからプライドとかが許せなかったりもする。
見下され続けるし、なんも出来ない自分に劣等感しかわかないし。
ただ、これって人柱が神にまで上り詰めてしまえば、実際、人柱も柱としては解放されるっぽい。
簡単に言えば、人柱は従来『生命の死』を求められていたんだが、現代の人柱は『精神の死』を求められている。
つまり精神を殺して消滅させれば、神が成立する。神になってしまえば、お役御免の解放となる。人の部分が。
人は神になりたいものだが、神は人になりたい。
人のために自分の人生を犠牲にしつくし、自分の人生など価値は無いと判断できるようになると、精神の死が生まれて、そのまま神の道にはいってしまう。
けっきょく、人柱は神になるしかないんじゃないかなと思っている。
ここで人柱が神になる経緯は、人が神になる経緯だからこそ『大人になる』ってことでもある。
同時に神になってしまえば人になる道がようやく生まれる。
人柱は『神になる道』を歩んでいる精神主義者たちで神になれば、人になれる権利を手に入れることが出来る。
つまり人柱って神への道であり、ツインレイがもし神になるというのであれば、ツインレイのなかにも人柱の人が多くいると思う。
ちなみに私はほかにどのように神の道があるんかを知らないかな。
この世の概念が地獄だとして、地獄の中での神の道は自己犠牲の先にある丸裸以外にやり方がわからない。(この道の本質はひとつだと思う)
また、人柱のなかに『世界観』があって、その世界観を組み変えれば、家系の世界観も組変わると思われる。
人柱は家系の神だとして、神の世界観が変われば、家系の形も変わってしまう。家系は神の世界観に従事しているとも言える。
つまり家系の人柱が家系すべてを背負っているとも言える。
人柱は『犠牲』なんだけど、本当の支配者は『人柱という犠牲者』っていう構造があるんだ。
人柱って『龍』なんじゃないかな? と思っている。
人柱のなかに家系の因果や因縁、ほかにも諸々と自分のモノではない感情とかが全部入っている。
その背負っている量が多ければ多いほどメンタルはいかれやすいんだが、それを背負っても生きている人達。
つまり『邪気』と呼ばれているものを一切合切背負っている人柱だからこそ、龍は天に帰れない。
人柱が神になるとき、家系の因縁関係含めて、全部背負いきってなんとか処理し終われば、人柱は神になる――というよりも龍として天に帰れる。これが神になるって意味なのではないか? と思っている。
人柱とは神を背負っているというよりも『邪気の詰まった龍』を背負っているとも言えるのかもしれない。
そして龍を解放するために人柱は存在している。
そう考えてみると、納得がいく。
人柱は龍であり、龍を浄化しようとしている。
元々は黄金の龍なんじゃないかな。
みんなの経験うけとるよ。
みんなの苦労うけとるよ。
みんなの結論うけとるよ。
みんなの記憶の集大成をつくるよ。
こんなこと書いてたな、そういえば。