トランスサタニアンとイザナギとイザナミによるツインレイの克服課題

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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今回は、記紀神話のイザナギとイザナミを主軸にして考えている。

地上のツインレイは、イザナミとイザナギのふたりが『離別したお話』で、楽園のツインレイは、イザナミとイザナギのふたりが『再会したお話』とする。

そして、どちらも『別のカップリング』とする。

 

これは、記紀神話初のカップルの話である。

天地が分かれたばかりのころ、天の世界である高天原(たかまのはら)に、次々と神が出現し、最後に現れたのが、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)でした。この男女の神には、国土を誕生させる「国生み」と、地上の営みを司る神々を誕生させる「神生み」が命じられました。
伊弉冉尊が火の神を出産した時のやけどで亡くなってしまうと、悲しんだ伊弉諾尊は、死の国である「黄泉の国」へ妻を迎えにいきます。ところが、醜く変わった妻の姿を見て伊弉諾尊は逃げ出してしまい、怒った伊弉冉尊は夫の後を追います。

黄泉の国との境界で対峙するふたりの前に登場するのが菊理媛尊で、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神の仲裁をし、その後、天照大御神(あまてらすおおみかみ)や月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのおのみこと)が生れます。

引用:ご祭神 菊理媛尊 | 白山比咩神社 | 石川県

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黄泉のイザナミとイザナギの関係性と天体

ストーリーを簡略化させてみると、

  1. 男女の神は国土をつくる『国生み』と地上の営みを司る『神生み』が命じられた
  2. 妻が夫と交配し、火の神の出産後に死ぬ(もし妻が出産していなかったならば)
  3. 夫は妻を追いかけ黄泉の国へ(もし夫が自立していたならば)
  4. 夫は「振り向かない」という妻との約束が守れない(もし夫が約束を守れたならば)
  5. または夫は妻の姿を見て逃げ出す(もし夫が逃げ出さなかったならば)
  6. 夫と妻は決別。死と生の境界で人を介して仲裁される(が、その内容はどうなのか)
  7. その後、夫により神生みが始まり、地球を統べる神が生まれる

とのことで、いくつも疑問があがってしまったので、それを横に追加した。

もし、ツインレイがイザナギとイザナミなのであれば、最終的には決別をしなければならない。そして、元々は『国生み』と『神生み』をしていなければならないっていうハードルが高めな話。

イザナミが持っている感情は、

  • 夫の子供を産んだら死んだ(出産による死への恐怖)
  • 夫が自分との約束を守らなかった(男性不信)
  • 夫が自分の姿を見て逃げ出した(男性への恨みと激怒)

ということになる。ここで、冥王星がでてくる。私は冥王星をイザナミだと思っているので、冥王星へ概念をセットする。

さて、次にイザナギが持っている感情を、

  • 妻が死んでしまった(妻がいなくなる恐怖)
  • 妻がいないと仕事ができない(自己不信)
  • 妻との約束を守れなかった(自己不信)
  • 姿の変わった妻から逃げ出した(自己不信)

ということで、これを天王星とする。

ふたつの比較をすると、イザナミは『夫が——』という思想を持ち、イザナギは『自分が』という思想を持つこと。

女性は人のせいにして、男性は自分のせいにするカタチを持っている。

図の説明:人のせいにするイザナミと、自分のせいになるイザナギ

つまり『人のせい』にするとき、冥王星のエネルギーがある。『自責』にするとき、天王星のエネルギーがある。

根源には、このふたつによる相関性が生まれ、片方が人のせいにしている限り、もう片方は自分のせいとなっている。

女性が「男性のせいで」と言葉にするとき、男性は「自分のせいで」となる。もし、ここで男性が「お前だって!」ってなるとき、もはや関係性は『冥王星の泥沼』となるため、お互いがお互いのせいとなる。

「人のせいにしあう」とき、ふたりは冥王星の泥沼であり、「自分のせいにしあう」とき、ふたりは天王星のどろぬま。

ツインレイの人ならば、特に、ツインレイ女性側がツインレイ男性を責めたとき、ツインレイ男性は「自分のせいだ。」と言葉にしたことがあるかなと思う。

つまり、ツインレイの男女は『冥王星』と『天王星』にある可能性がある。

ツインレイ女性がツインレイ男性を責めるとき、根っこには「自分が死ぬ恐怖」「男性不信」「恨みと怒り」が存在している。それに呼応するように、ツインレイ男性が自責にあるとき「大事な人を失う恐怖」「自己不信」「悲しみ」が存在している。

それぞれのツインレイの課題は、ここにあるワードなんだと思う。

ツインレイの出会いからサイレント期間までの間に、どれだけ『恐怖』『不信』『ネガティブな感情』を抑制しきれるのか——がテーマ。

サイレント期間には、相手がどんな『恐怖』『不信』『ネガティブな感情』を持っていたのかを知ることが出来るよ。それを知って、ようやくふたりは分かり合える。それが二元性の世界観にある。

 

これは記紀神話に導かれた私たちの祖にあたる問題であって、いわゆる日本の男女における原罪だと思われる。(アダムとイブの原罪もある)

だから、ツインレイ女性はサイレント期間中に、

  • 自己信頼を取り戻す
  • 悲しみを終わらせる
  • 失うことの恐怖を消す

ことになる。

そして、ツインレイ男性はサイレント期間中に、

  • 他者信頼を取り戻す
  • 恨みと激怒を終わらせる
  • 死への恐怖を消す(生み出す恐怖)

ことになる。

ツインレイ女性は、自分を信じられなかったし、悲しみ、そして失ってしまったことに向き合えなかったはず。

ツインレイ男性は、他人を信じられなかったし、恨みや激怒と向き合えず、そして自分が死ぬ恐怖(生み出す恐怖)と向き合えなかったのかな。

このテーマを終わらせると、

図の説明:冥王星が他者信頼、天王星が自己信頼

というような。

イザナミとイザナギと地上のツインレイ

 

 

地上のツインレイのラスト。

私の場合、ツインレイ男性へ私がブチぎれる。内容的には『男性不信(約束は守られない)』『恨みと激怒』である。そして、その激怒の最終的結論は「二度と連絡をしてこないでほしい。」ということ。

これが私の結論だった。それはイザナミと同じ結論だと思われる。

私が地上のツインレイと出会ったとき「信じる」と舵を振ったがゆえに、この結論である。信じる者は救われない、裏切られるのである。これが私の地上のツインレイの経験。

これは『従来の記紀神話によるナギナミの結論』だったのではないか——と考える。

あとなぜか私は「彼との子供を産んだら死ぬと思う」と言葉にしたことがある。

 

それから私は長い月日をかけて『自分の中にある男性不信』と『出産への恐怖』、『恨みと激怒』を乗り越えなければならなかった。

私の場合、楽園のツインレイは直近であると困った。そもそもこれらを抑制するだけの理性がなかったから。

だから地上のツインレイ→楽園のツインレイが連続して現れる等のことがあれば、それは相当な手練れだと思われる。あたいには無理ゲー。あたい以上の理性と知性を持っている存在だと思われる。

楽園のツインレイと出会いからサイレントの期間までの間に、乗り越えるべき問題だった。

私は自分のなかにある男性不信、出産する恐怖、恨みと激怒、これからをサイレント期間中に抑制しきっている。ツインレイの相手を目の前にすると、どうしてもこれらが浮き上がってくる。それらを抑制していく。

たぶん、ツインレイの相手にはどうしても激怒してしまう人たちがいたんじゃないかと思う。冥王星のエネルギーが関係しているのではないかと思っている。

そして、その抑制を『愛』として私は定義している。その愛は『死への恐怖』『男性不信』『恨みと激怒』を抑制することで、自己破壊を起こすことから『愛は破壊』みたいになってしまったのだと思われる。

すると反転するのである。『消失への恐怖』『自己不信』『悲しみ』がやってくる。これがツインレイの反転にある。

 

ツインレイの出会いからサイレント期間の始まりまでに、ツインレイ女性側が『ツインレイ男性を信じ切る』ことができれば、ツインレイ男性側は『自己信頼』を持つことができる。

そこから男女の反転を起こして、ツインレイ女性側が『自己信頼』を持つとき、ツインレイ男性は『ツインレイ女性を信じ切る』ような現象が起こると思われる。

 

地上のツインレイとは、先ずは『ネガティブなイザナギとイザナミの神話』を体現しているということ。

まずは『地上における神話』を制覇する必要性がある。

その経験なくば、新しい経験を持つことは出来ない。

まずは、地上におけるイザナギとイザナミによる決裂する神話を持たなければならないのである。

そのとき、イザナミは激怒し、イザナギはそれを見て逃げ出していく。

このふたりの関係性を持って、ようやく新しい関係性へ進むことになる。

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ククリヒメの交渉決裂の問題

イザナミとイザナギの仲裁をククリヒメが行っている。このククリヒメだが、本当にふたりを仲裁することが出来たのか——である。

残念ながら、ふたりは仲直りをしたわけではない。いがみ合いによる裁判の結果を出しただけ。

だけれど、このククリがしたかったことは『ふたりが仲直りすること』なんだと思う。

ふたりが仲直りする機会をイザナミとイザナギには与えらかった。だけれど、最終的には『決裂』だったと思われる。

 

地上のツインレイのとき、最終的な結論として出されたものは『ふたりの意見』である。

ツインレイ男性は『自己不信』となり、ツインレイ女性は『男性不信』という状態となる。

これがイザナギとイザナミのラストであり、お互いがお互いの世界へと決別を迎えていくとき、これはククリヒメによる交渉は決裂していると考えられる。

この交渉を今度は成功させていかなければならないのである。

 

楽園のツインレイのときのラスト。きっと、ツインレイ男性は『自己信頼』を持っているし、ツインレイ女性は『他者信頼』を持っている。

しかし、ツインレイ男性は誰も信じない。ツインレイ女性は自分を信じない。これではいけない。

ゆえにツインレイ男性はツインレイ女性を信じられるようにし、ツインレイ女性は自分を信じられるようにする。

サイレント期間の課題である。

 

かくいう最終的に、どのような再会になるのか。はたまた、私は再会が出来るのか——。わからないのだ。

ただ、地上のツインレイの時は「出会えた人」だったのだが、楽園のツインレイの今「出会えない人」である。

たぶん、地上のツインレイのふたりは「離別することで出会えなくなる」のである。

次に楽園のツインレイのふたりは「出会えない人と出会える」のではないかな? と思っている。このふたつはひっくり返っている。

ククリヒメによる縁結びが『交渉』になってしまうのか。はたまた『良縁』になるのかは当事者の性根次第なのだろう。

イザナギとイザナミの本当の仲裁

イザナミとイザナギは向こうの世界では、ちゃんと仲裁されていると思われる。間に入ったのは『龍』である。龍がいれば、再会が出来る。それが「ククリヒメ」である。

イザナミとイザナギは、たしかに『黄泉の国』と『高天原』に分けられはしたものの——。

そもそもイザナミが『死の超克』を終え、イザナギが『生の超克』を終えれば、ふたりは再会できるのである。

イザナギはイザナミを追いかけて死の国にいったとあるが「彼女がいなければ、おれは死ぬ。」なわけである。

イザナミは、出産という死を乗り越えることが出来ずに死んだのである。

イザナギは「ひとりでいきる」ことができなければならないし、イザナミは「出産する」ことができなければならない。

地上のツインレイと出会う人たちは、イザナミは『死の恐怖』を覚え、イザナギは『生の恐怖』を覚えている。

私が地上のツインレイの期間で死にかけたのは、確かに『死の超克』のなかで『生きる』を選択しなければならなかったのだと思われる。(または出産だと思われる。)

楽園のツインレイに出会うツインレイ男性は『生の超克』をしなければならなかった。『死ぬ』を選択するのである。それは心の死を迎えること。

この『生』と『死』を持って、ふたりは、ひとつの壁越しに出会っているのではないかと思っている。

ツインレイ女性は死にながら生き、ツインレイ男性は生きながらに死んでいる。だけれど、この地球で出会えるんじゃないかな。

ツインレイ女性は黄泉の国から舞い戻るためには、死にながら生きなければならないから、たぶん、たいていよく追い詰められては病弱かもしれない。死が近いのである。(だから地上のツインレイ後、1年に3ヶ月はうつになってて脳が破損していたのかもしれない。基本的には動き鈍いもの。あんまり動かない。)

ツインレイ男性は高天原にいるけれど、生きながら死ななければツインレイ女性には会えない。たぶん、生きているのに「心がめためたに殺される」ような出来事がたくさんあったんじゃないかな。(彼くんもよく心が寝込んでいたことが多いイメージ。)

 

そうすると、冥王星による『生死』の克服が終わる。

ツインレイ女性は生きれるようになって、ツインレイ男性は死ねる(寝れる)ようになるかも。

天王星によるテーマは『束縛と自由』にあるけれど『生の束縛』から逃れると、それは『生の自由』が生まれ、『死の束縛』から逃れると『死の自由』が生まれると思う。

これは女性には『子供を産む自由』であり、男性には『人生への自由選択』を意味すると思う。

好きにしたらいいんやで。女性は。うみたいならうめばいいし、うみたくないならうまんでいい。

男性も同じ。、好きに生きたらいいんやで。やりたいように自分で自由に決定していったらいい。

そのように『人生の軸』を過去に打ち付ければ、その軸を元に人生を構成するから。そのために必要なのが「覚悟」だと思う。