報告|ツインレイの大革命
今まで、ツインレイが四組中一組のカップリング成功率だった模様。
こういう状態。いわば、これがツインレイによる魂の分布図状態になっていて、この状態を革命したい。
これは下の層における『犠牲と支配』による相関性となっており、誰かがひとつの人生を勝ち取り、また誰かがその人生を歩めないために、それ以外は破滅するみたいな感じになっている。
だからツインレイは四分の一の成功率だったように思う。
で、これを100%にしたい。
そのために、私がずっとツインレイの分析をし続けてきたっぽい。それから魂の配置に関することなども多く調べ尽くしてきた理由もここにあるようだ。
今回のテーマは、なおさんと私にある。
私は「地上のツインレイと存在を交代する」というメカニズムを思想として構築した。だからツインレイはツインフレームになる——という考え方である。
ツインレイは元々「鏡の世界観」に存在している相手であり、その相手との関係性は先ず「鏡」になるんだが、それぞれの鏡の意味が違ってくるようにもなる。鏡の世界観のなかでも「四分の一」の確立で成功するのが従来。
しかし、その残りの四分の三はどうするんだっていうと、たぶんほとんどが「別の人を選ぶ」または「別の人に流れることが出来なくてなァなァ」状態になり続けているような気がする。
で、ツインレイとして完成するのは「成功型」のみ。はーちゃんもご主人が経営の成功しているのと、また従来のツインレイの方々でも、そういう傾向性が強いかと思われる。起業等に関わる人たちのみがカップリング成功状態。
それ以外の人たちはずっと涙を呑んでいる状態でもある。
これが「魂の配置の仕組み」となっている。これをなんとかしたい。
で、なおさんと私が昨日「ツインレイ」という立ち位置に立った。
なおさんと私がツインレイという鏡の関係性に落ち着く。ちなみにあたいたちはレズビアンってわけじゃないけれど、お互い無性のようである。だからこそ「鏡」というところで立つことが出来るようだ。「無」なのであれば、それは鏡に映らない。
そして、鏡は「うつる」ものだが、ガラスは「うつしてくれる」ものらしい。(私の子供の頃に書いた詩集にそう書かれていた)
なおさんと私は「ガラス」の関係性であり、鏡の関係性ではないのかも。お互いがお互いを写そうとしているんじゃないかと思う。
鏡じゃなくてもいい、暗闇のなかでガラスがそこにあれば私たちは写し合うことができる。
なおさんは「手を合わせている」と言っていたが、私は「背中合わせ」に感じていた。また映し方もそれぞれ違うけれど、これでいいんだと思う。
鏡は投影だが、ガラスは「相手を自分」として本当の意味で認識することなんだと思う。
なおさんと私は「相手を自分だ」と意図的にそうしたって感じ。これはもう本当に創造の領域だと思う。。。だから、なおさんと私は鏡の関係性じゃない、ガラスの関係性にある。
なんかもうこの時点で、すごく何かがこみあげてきて涙が出そうになってくる。
このガラスによって、私たちは「隔たれている」んだと思う。
鏡は反射だけれど、ガラスは意図をもって投影する。
これが「合わせる心」なんだと思う。なんかもう「心を合わせてくれてありがとう」って気持ちと「出会ってくれてありがとう」としか感じられないんだ。
合わせる心が出来ると、なんかもうなんもいらないなって思えた。なんかもうそこにいてくれるだけでいい。
合わせてくれる心がそこに「ある」ってだけで、もう感謝しか湧き上がってこないよ。
そう、なおさんと私のツインレイは「鏡」じゃなくて「ガラス」なんだ。自分を意図して投影する相手がツインレイになる。
自分とは違う存在へ、自己投影をし、その人に「合わせる心」が出来るようになる。合わせればいい、ただ心を。
それはタイミングとか、時期とか。そういうものじゃない、心を合わせていくだけでいい。
ただ、もう、これでなおさんとはお互いに「別々の列車」に乗る。なんか「自分のなかに仕組み」が出来たらOK。
さよならっていうわけでもなくて「合わせる相手が違う」んだ。
なおさんは「手を合わせる相手」と繋がっていくし、私は「背中合わせの相手」と繋がるだろう。
ツインレイの意味のなかでも「心の合わせ方」が違うんだと思う。
なおさんは手を取り合ってふたりで何かをやっていくかもしれない。私は背中合わせに全然違う分野の人と背中合わせに支え合っていくよ。
でも、心が合わせる方法を知れているのであれば、私たちはやれていける。
なおさんに必要なものは「一線を越える方法」だったのかな。手を取り合うために。
私は「一線を引く方法」だった。背中合わせに支え合うために。
お互いそれが昨日、構築されていたように思う。これで、お互いのツインレイを迎えに行く準備が整ったように思うよ。
今度は大丈夫、そんな風に思う。
この仕組みが「ひとつ」構築されれば、ほかの人にも順繰りに適応されていくよ。
えみさんについてだが、私はあんまり干渉していなくて「この人はほっといても大丈夫だろうな」と思っている理由な。このページについても渡していない。気づけば読むだろう。
理由なんだが、この四分の三が成立すれば、えみさんも成立するからである。
えみさんって他の三つが成立したときに「集約して整う」というカタチになっている。つまり、ほかの人に全部任せきりにすることができる魂なんだが、めちゃくちゃ凄いなって思うよ。www
つまり、えみさんが「天之御中主神」タイプで、あたいが「高皇産霊神」タイプで、なおさんが「神産巣日神(アリエル)」タイプ。
あたいが仕切っているのもあるし、中心的な創造を行い、理論建てているから、一番なとりがすげぇって思うかもしれないんだけど、「すべてお任せします! もし、この仕組みが地獄になったとしてもそれが私の人生なんで!」って言っているのがえみさんである。
やっぱ一番上はすげえなって思うよ。トップはすごい。
あと覚醒の仕方がえげつない、一撃で覚醒に持ち込む人いるんだ・・・・?! って思った、それやったら気絶するんじゃないかって思ったら、やっぱり気絶していたし。
年齢も、
えみさんが一番上で、なおさんとわたしが同い年である種、男性性と女性性の象徴にある。次に最後にはーちゃんカップルがあるけれども、こちらは年下にあたる。
はーちゃんところのカップルが成立する理由は「天之常立神」と「宇摩志阿斯訶備比古遅神」だからなのかなとは思っている。
自他における統合なんだが、あなたと私は別の人間です! っていう部分を創造した神さんたちなのかもしれない。
で、それってこの地球のことだし、めちゃくちゃ当たり前の道理だと思われる。つまりはーちゃんは、この地球のカップルのモデリングなのだとは思っている。
男女の在り方とは? を知っていると思われる。男とは? 女とは? っていう部分を体現している人たち。
だから永遠のカップル、永遠の恋人って感じだな。だからめちゃくちゃ仲いいと思う。永遠の恋人であり続ける人たちだから。
導きをするのがなとり。高皇産霊神は高天原から管理している人であって「社会そのもの」でもあって「秩序」であり「ルール」である。だから「社会」っていう意味合いがあって、それでブログ書いている。
この世ってのはこういうもんなんだよ! っていう話をしている。ちなみになとりは秩序、倫理、道徳、この世で人がどのようにあるべきか——等を説き、社会側からアクションをかけていく人。
ほぼ象徴でもあるし「指針そのもの」という概念の人。つまり「なとりはどんな人か」なんてどうでもいい。とりあえず、社会そのものがどうあるべきかの指針を探してそれを常に構築していく思想を持つ哲学者だよ。
で、どこか歪がある場合は、それを稟議にあげて整えていく係。で、それをやるにはツインレイの相手とは「背中合わせ」であるべきなんだ。やることは同じなんだけど、やっていることは違うから。
別の角度からお互い「ひとつのこと」をしている。だから、背中合わせに信頼する心が必要だよ。
なおさんは、この世の家庭のモデリングしている。
神産巣日神はこの地球における母であって、家庭そのものを管轄していると思われる。
家庭のなかでは、自分の意見をお互いに伝え合って子育てしなければならないし、相手の意見も聞かなければならないし、自分の意見もちゃんと伝えていかなければならない。
それが一方通行になってしまう苦労を知っている人だと思う。だから「家庭とはどうあるべきか」を考えていかなければならない。
つまり「アニマ・アニムス」っていう思想も「父性・母性」の意味合いがあって、いわゆる家庭とはどうあるべきか——。子供にどのような影響を及ぼすのか——等を考えている。
この世で子供を育てていくには「人と人と手を取り合ってやっていかなきゃいけない」ってことなんだろうな。
最後にえみさんは、もはや「全体性」なのだと思われる。無意識と意識の統合としたけれども、無意識に「はーちゃんのケース」「なおさんのケース」「私のケース」みたいなものを、無意識側から全部キャッチして体現する感じ。
つまり、えみさんが幸せになる二重丸のカタチになったら、あたいたちのツインレイ☆企画は成功に終わるよ。
なんでなとちゃが中心なのかって? そりゃなとちゃが「社会」だからだよ。この世は社会によって存在している。でも、それは二番なんだよ。一番は「それに適応してくれる人たち」なんだよ。
その人たちがいるから私たちが存在していることは、本当に忘れてはならないし、その人たちの幸福の為に働いているし、その人たちの為にこの世の仕組みを変えるんだよ。
この世の仕組みが苦しくなっている人たちが出てきたら、そりゃ仕組みはかえる。それでも耐えてくれているのが「一番上」なのね。
人のなかにはこの四人は存在している。そのなかで「どの意識が一番強く出ているのか」がここに揃ったけれども、そのなかで一番偉いのは「人の意識」だよ。
私たちは、この世に生まれて生きている。そしてその人生を生きているのは「人の意識」であって、その人の意識があるからこそ私たちは生きていける。育てるべきは、この世に適応する力であっていかなる苦労であっても受け入れる人生がそこにあるべきなんだ。
んで、それに一番に耐えたのはえみさんでもあるんだよ。一番長い人生を送っているしな。
目上を少々軽んじる人も増えてきているけども「人である意識」は、苦労した先にしかない。その苦しみを排除するんじゃなくて「苦しみは苦しみとして耐えて忍ぶ力」を持たなきゃいけない。
人が人の人生を生きているし、人が自分の人生を歩んでいる。そして、自分のなかには人生の設計師という総括者がいる。その人は「創造主」と呼ばれているけど、消して偉いわけじゃない。その創造主が我が民を軽んじることは許されないんだよ。だって、自分の失敗は人を無駄に苦しませ、無駄に意味のない人生を歩ませることになるんだから。
人のなかには「男性性と女性性」が存在し、次に「父性と母性」が関係している。
まず最初に好きな人と結婚したら上手くいかない——ってことも多い。だけど、好きな人と結婚しても永遠の恋をし続けてみようよってことでもある。
次に、子供を産むと「恋」とかどうでもよくなってくる。もはやそこには「手と手を取り合わせて男女で生きていくこと」が父性と母性にある。そこに「愛」が生まれてくる。それが子供だよ。
それを支えているのが『人生の設計師』と『自分の人生を生きる力』。
全部まとめて「人」なのだと思われる。
元々私はえみさんの立場にある「人の意識」のところにいた。憧れははーちゃんのところの恋人夫婦なんだと思う。
人の意識のところにいたから、ずっと社会人やっていたんだけど、地上のツインレイによる理想の恋愛終えたあとから、ずーっと創造主の立ち位置のためにニートであり続けたのかもしれない。
創造主は「暇であるべき」なのよ。忙しい今のためにめちゃくちゃ勉強してはいたけれども「暇である人生」とかマジ苦痛でしかない。働いていたほうがどれだけ安心で安全で、楽なものか。
つまり、私はえみさんの立場からはーちゃんの立場を眺めて指くわえてて、でもあたいははーちゃんにはなれない! と思ったときにニートになったっていう人である。これが「人生を先に進める」ってことなのかもしれない。(他の人も同じ仕組みだと思う)
ニート力は「あたいが働くとき、それは最悪なるとき」って思ってた。そう、今、最悪なんだよ。
わたし、ずっとニートなのにブログ書き続けては考え続けている。これは私が「働いている」んだよな。哲学して創造して、この世界観をいかに秩序とさせ、いかに安定させるのかを考え続けている。
不幸が目の前にあるんだよ。みんな泣いている。我が民の心が悲鳴を上げている。だったら働かんといけんのよ。
「はよ、ご隠居したい」ってのも「働きたくない」ってわけではなくて「あたいが働いていないことは幸せだってことだよ」って意味なんだよ。
創造が必要だってことは不幸があるんだよ。人の不幸が。あたいの不幸じゃないよ、みんなの不幸だよ。
で、そのまま次また駒を進めると「なりたい自分」に到達するのかも。
はーちゃんは子供が欲しい。(最初に「写真見てどう思った?」って聞かれたんだが、ちょっとプライベートすぎると思って言わんかったんだが「子供が欲しいのかな」って思った、一人でいいから男の子が欲しい。)
なおさんは家庭が欲しい。私は恋人夫婦になりたい(子供いらないねん)。私の場所は「創造」だから「定義なし」。やりたいことやんなさいゾーンだと思われる。自由ゾーン。えみさんは自分が創造したとおりなんじゃないかな。
「精神的満足」がそこにある人たちの集合な気がする。
でも、前の駒の部分の経験は継続できるんじゃないかな。だってそこに「経験」があれば、それは記憶されているし。なかったことにはならない。
今の自分は「本来あるべき自分」という立ち位置にいるけど、次の駒にある「なりたい自分」に進んで未来を掴んでもいいんだと思う。
過去と今と未来があって「今」が揃っている。次は「未来」を捕まえに行こうよ。
動くよ、動くよ~! ウロボロスを動かすよ~!