報告|ツインレイの自己統合が終わりました。
自己統合。これについても散々考え続けてきたけれども、ようやく私は散文|悲しみは愛に変わる日がやってくるだろう。に描かれている『水』として自己統合が終わった。
実はずっと自己統合のターンだった件について、泣けるわ。
これは精神科の先生にも話をしたところ、実存による超越経験とも言えるが、ジョルジュ・バタイユによる「すべて動物は世界の内に、ちょうど水の中に水があるように存在している 」のようだ——とも言われた。
そして、これは私の「普通の人になった」ということでもあると言う。
先生に構造主義の話をしてくるのを忘れてしまった。。。先生とはいつも哲学のお話を通じて心理の話をしておりまする。ほぼ講義を聞いているようなモンである。
先生は「大学の先生」みたいな感じ。なんかもうすべてが「先生」って感じの人。医者っていうよりも「先生」。
今日「先生、褒めて。」って言ったら「次はカタルシス目指してね。」って言われた。
私の過去について話をしよう。実は先日「なとりのトリセツ」を書いてほしいとリクエストをもらっていて、どのように書くべきなのかを考えていたんだが、これを折りに、私はようやくかけるような気がするんだ。
私は特別な家庭に生まれたわけではないし、何かひとつでも長けたものがある家系でもない。普通の、どこにでもあるような温かな家庭のひとつだと思う。そして私はその家の次女として生まれた。
これは「どこにでもある家庭」であることがミソなのだろう。私はそんな優しい家庭のなかで精神を病んだ。
その理由は最近になり思い出した3才のときに5才の姉が「なとりを捨ててきて。」と泣き喚いた記憶。そして、私がちょうど後追いする時期に姉が喘息を悪化させて入院し、母がいなかったこと。
ほかにもいくつかの要因はあるけれど、このふたつのうち、前者は「姉の機嫌を損ねてしまえば捨てられる不安」を人生をかけ抱える私と、後者は「いつ母が死ぬのかがわからない不安」を人生をかけて抱える私が産まれた瞬間である。
三つ子の魂とはよく言ったものである。私はこのときの記憶をずっと抱え、家族に怯え、誰かがいなくなる不安を抱えたのである。
そして、それが私の人生を構築していく。
本来、人間はこのように根っこの部分に大きな傷を持っていない人のほうが多いらしい。そして、その傷を私は抱えているからこそ、常に不安と死が横に存在しているなかで生きることになる。
私は死にたかった。小学生低学年の頃から死生観はあった、いなくなればいいと思っていた。死ぬかもしれない恐怖に怯えている私がいたし、人に嫌われたら捨てられて私は死ぬ恐怖に怯えて生きる人生である。
私の人生の『影』はここにある。私のシャドウという影を抱きしめることが私の自己統合である。
私はどこにでも存在している一般的な家庭に存在している人だった。そして、私は「普通の子」だった。だけど、その心理は強い葛藤を抱え、その葛藤は論理性を持ち、今や自己統合をして正しい道に戻るぐらいには、強い意思が存在している人である。
過度期として迎えられたのは、師匠との出会いである。二十歳過ぎて直ぐの頃である。
先生から学んだ神道の思想をまずは忠実に守ること。これは精神科の先生ではなくて神道の師匠を先生と呼んでいる。神道の先生は出会ったときからでかい十字架を背負っているような人。比喩しきれないが、そんな感じの人。神童って呼ばれ育ち、霊験あらたかな人。
先生の昔話をひとつすると、学生の頃にアルバイト中に通りかかった社がちょっと汚れていたモンだから、持っていたペットボトルの水で少し汚れを取ってからお水を備えてきたことがあるらしい。それから高熱を出して寝込むことになった。熱も引いて遊びに出かけて帰ってきたら、家にイタコのおばあさんが遊びに来ていて「あんた、お地蔵さんがついているよ」って言われて、神さんをとる方法を教えてもらったって話とか、色々ある。逸話がある面白い人だと思う。
先生の先生のお話とかもある。面白いが今回は割愛する。
「愚痴らない」「自分勝手にしない」「人を大切にする」「自分が自分が、と自分を優先しない」「人に尽くす」
まァ、こんな具合に人として当たり前のことがなかなか出来なかった。
なにか嫌なことがあったら誰かに愚痴っては「誰かが悪い」と仕立て上げ「何か」に逃げ続けるような人生。だけど、それ以外に生き方を知らなかったとき、先生に出会った。
ちょうど「そうやって逃げる生きる方法を自分に許し身に着けたとき」に先生に出会った。自分の心が魔に負けたときである。
先生に出会い「これだ!」と初めて直感し、私が学ぶ姿勢をみせた。
先生は私に一番最初の出会いから厳しかった。「人の時間を愚痴で潰すとはお前は何様だ」と怒鳴られて、大泣きして『なとりの改心の道』が始まった瞬間でもあった。
すかさず私は先生の懐にスッと入り込んだ。スッと、そしてヌクヌクッとした。
あとあと先生に聞けば「気分で育てた」とのことである。100粒育てて1粒育てばマシ、その1粒だそうな。
先生は私にひとつひとつを教えてくれた。歴史のお勉強も、帝王学についても。私にひとつひとつ枕にして眠れるように教えてくれた人である。私の精神の父が先生とも言える。
多くを教えてはくれたけれども、多くを教えてくれなかったのも先生である。
先生は「神の道」の人だったから、背中で教えてくれる人だった。先生の言葉を一期一句聞き逃さず、先生の態度やふるまいなどもひとつずつ覚えていく。基本をちゃんと抑えて礼儀正しくしていれば面白いお話をいつもしてくれたお兄さん。
勉強の面白さを教えてくれたのも先生だし、心を「真ん中」に留めて置くための方法を教えてくれたのも先生。どうあるのが「正しいのか」の心の在り方である。
「人としての生き方」や「立ち振る舞い」とかも、たぶんほとんど先生からのような気が。
「自分は自分」っていったら殴られると思う。怒りだけ発言したら「おまえはサルか」と怒鳴られて殴られると思う。心無い発言をしても怒られるし、何か悪いことすれば基本的に怒られるけど、あたいもレベル低いと「何が悪いかわからない」から間違えてしまうが、ちゃんと怒られる理由がある。
今はそんなに怒らなくなったけど、当時の先生はまだ若かったと思う。28歳ぐらいだったし。28歳の私は先生のいいつけをデフォルトのオートモードで守れるようになっている程度ぐらい。7歳差かな、7歳で雲泥の差がある。
最初はなんで怒られたのかはわからない。ただ怒られて悲しいだけだけれど、次から気を付けるようにする。でも、当時なんで先生が怒っていたのかの理由は、あとあとの経験からほとんど理解できる。
私の為でしかない。
いつからか私は先生が目標となり修行に励むわけである。いかなるときも、自分を一番に考えず人の為に尽くすだけの心を育てるようにという教えを守った。
なとりが優しいのは先生が優しかったからだと思う。先生からいただいたものは「優しさ」だと思う。
あるときからは、先生からのそばから離れ、私は自立していった。
それまでは先生の背中を追いかけていた私も「自分の明日の背中」が見えるようになったときからである。私は私を追いかけるようになった。私は私になろうとした。先生に教えらて教育を受けた礼儀正しい人ではなく、自分で自走し始めた。
先生は私を「自立して自分で考えられるように育てていた」のである。
人とはどうあるべきか——。それを哲学し始める。
宗教とは何のためにあるのか。それは、道を沿れてしまった人を正しい道へと戻す道にある。
それは、まさに私のことである。
私は、3歳の記憶から「不安」「恐怖」「孤独」の闇を抱えたまま、人生を構成している。私の人生は、不安と恐怖と孤独そのものである。その人生を全うな道とは言わないらしい。本来の人は、不安に振り回されたり、恐怖に怯えたりするような人生ではないらしい。
子供の頃から神経症と脅迫を抱えて生きている。
私が言葉にする「人はどんなに間違っても、正しい道に戻ってこれる」とは、私が間違えた人生を送ってきたこと。だとしても、最後は必ず正しい道に戻ってこれることを信じているという心からの言葉である。
もし、戻ってこれたのであれば、そのとき、私たちの人生の間違いは「間違いであった」と同時に「間違いではなかった」と理解する。
紆余曲折どころか、私は遠回りして正しい道の上に戻ったとき、私の自己統合が終わった。私の自己統合は「自分の道の上に立ち、その道を歩むこと」である。
振り返ってみると、この横道にそれることがなければ、私は深く考え、深く悩むことも出来ない人になっていただろう。この横道にそれた分だけ私は思慮深い。それはやっぱり間違いからしか学べなかったことばかり。
私は横道から戻るまでの道で、多くの経験をつみ、そのかけがえのない宝物を手に入れて帰ってきた。
そして、ツインレイ。彼が私の最後の集大成である。
私が彼を愛したこと、それそのものが「私が正しい道」に戻るために必要な実践となる経験となった。その実践経験は、今の私の心を、そのまま表していることだろう。
私は彼に心を合わせたのである。
私は普通の人間に戻ることになる。
それは「普通の人」になることだ。私は自分が特別な人間ではないことを丸ごと受け入れている。実はサイレント期間に多く人にとやかく言われた。あなたは神だとか、使命があるとか。そういう話もよく言われていた。
ただほとんどの話を私は話半分程度とか、適当にしか聞いていなかった。その理由は「私は特別ではないことを受け入れている」からである。同時に私は「人からすれば私はとてつもなく特別な人にみえている」ということも理解した。
間違えた道から、神の道を歩いて戻ってきた人間なんて貴重な人間なんだろう。私は特別だった。
これは、私の人生である。
普通の子なのに、子供の頃に背負った傷によって間違ったほうへ道をそれてしまったがゆえに「神の道」を進んだ。だけど、決して私は神ではないのである。私は私のなかに「私を救済する神」を抱えているけれど、私自身は普通の人間である。
ただ横道に逸れた分だけ、私は私のなかに「神の道」という新しい道を生み出しては、正しい道に戻らなければならなかった人である。
そして私は「神になる」わけではない。私は「人になる」のである。
そして、私の場合、自己統合をするのに神ありきであったこともまた事実である。
最終的には「水」となってしまったのも、統合しきっては「赤子の心」に戻ったことにある。
私はとても宗教的である。そして多くの抑圧を持つ秩序である、これは私が必要としたものである。私が間違えている人間だから必要とした抑圧である。間違えている人間だと知っているからこそ、私は私に戒律を必要としたのである。
自分で自分を守る意識を捨てたのである。私は私のなかに巣くう魔を守らない。
私は「生まれて数年で間違えた道」に入らざるを得なかった人でもあるし、それが私の人生である。
これを宿命と呼ばずとして何と呼ぶのか。そして、私は「運命」を切り拓いた人でもある。自分の偽りの宿命を破り、正しい宿命の道に戻った私は、これからも紆余曲折あるかもしれないが、必ず正しい道に戻ることになるだろう。
私はそうやって生きる力強い私を知っているからである。
私が間違えている邪道の道にいるときも、私の人生のうえにいたのだと今の私ならば理解が出来る。ただ「心の在り方」が違うだけなのだ——と。
私は救われたのである。それは私の人生が救われたのではない。私の「不安に憑かれた心」から救われた。私の敵は常に私の中にいる。
私は私になろうとしたわけでもない。私は「社会の一部」になろうとした、それが大人の在り方だと私は思うから。
きっと社会のなかで「私」はあまり重要ではないけれど、きっとそんななかから「私」を見つけてくれる人がいる。誰でもいいのに、誰でもいいなかの「まるで特別ではない私」を誰かは見つけるだろう。特別ではない私を、誰かは大きな誤解をして「特別」と感じるだろう。その勘違いがどれだけの運命を持つ。
いつかは落胆するときがくる、なんでこんなやつと結婚したんだろうって。このときようやく私たちは「愛している」って言葉にできるようになるよ。
ツインレイは自己統合のタイミングで「2種類」に分類されたらしい。
「自分になった人」と「社会の一部になった人」の2種類である。多くが前者となったようだ。
私は「合わせる心」である。あなたに合わせる心を持っている。そのとき、私はあなたと同じ心となれることが喜びと感じられる。
あなたの幸福に喜び、あなたの失敗をいっしょに乗り越え、あなたの怒りに同調し、あなたのみえている世界をいっしょに見ていくよ。私はそうやって社会のひとつになって融けて消えるね。
私はまだ先生のようにはなれないし、きっと先生のように人を育てることには向いていないし、出来ない。
だけど、自分にもできることはあるみたいだから、そういう意味で誰かの心に寄り添って生きていけたらいいなと思う。
私の人生は、そういう人生。私の経験はそのためにあると思う。もし、いっしょに歩んでくれる人がいるならば、共にありたい。