地上のツインレイと楽園のツインレイとは?
当時はどのように定義するべきかが分からずに『ツインフレーム』として定義し、それ以前に出会う異性を『ツインソウル』として定義してきました。
とりあえず、これを『地上のツインレイ』と『楽園のツインレイ』として言葉に変えたこともあり、それがいかなる意味合いを持っているのか——についてを書いていこうと思います。
私たちは、この人生のなかで数人の「ツインレイではないか?」と思われるような出会いをしている。その出会いを何度も繰り返しているので「ツインレイは誰なのか?」という問いかけも生まれる。ゆえに、ツインレイをどのように診断すればいいのか——という指針も必要となり、ツインレイ診断という枠組みも生まれた。
ツインレイの情報は単純に『魂の双子』として定義されているが、その定義さえもあやういところにあるものでもある。私たちは魂の定義さえ理解していないのだから。
そんななか、私たちは『魂を探す旅』にでているのかもしれない。だからこそ『ツインレイという魂の伴侶』を探す旅のなかで『この人が魂なんじゃないか』と問いかけつづけている。
だけど、私たちは魂に到達するまで、とても長い時間を要している。その過程で『多くの双子という存在』に出会う。それがいかなる定義のもとにあるのか——をも知らずに私たちは『ツインレイ』という言葉を多用する。
意識と無意識のツインレイの定義
ツインレイには『意識側の双子』と『無意識側の双子』としての存在がいる。先に出会うのが『意識側の双子』であり、次に出会うのが『無意識側の双子』である。
このときに私は『意識側の双子』をツインフレーム——地上のツインレイ——として定義し、次に『無意識側の双子』をツインレイ—楽園のツインレイ——として定義した。
このふたつに対し、意識が下、無意識が上——というわけでもなく、ツインフレームが下、ツインレイが上というわけでもない。(この辺でなんかこう、多くの人が劣等感を感じているように感じられた。)
この図から『無意識のなとり』という存在と『意識のなとり』という存在が理解できる。(なとりとは私のことですね。)
私たちは3次元の領域で『意識のなとり』を形成する。自分とはこのような存在である——として『自分を意識する』ことができるようになっていく。それから4次元へ到達するまでの間は『意識的に生きる』ようになる。
自分で自分を意識して存在させるという領域になるため、実は瞑想とはまるで無縁のひたすら頭を使い続けている存在となる。これが錬金術の基本となる哲学の卵の基盤となる。
この意識のなとりを形成する経緯で『地上のツインレイ』という意識した異性を構成する。そして、地上のツインレイとの別れは裏側に存在する無意識のなとりを形成する経緯に入り『楽園のツインレイ』と出会うようになる。
誤謬 | 新しい定義 | |
---|---|---|
意識 | ツインフレーム | 地上のツインレイ |
無意識 | ツインレイ | 楽園のツインレイ |
ただ『ツインレイ』という存在は『魂の双子』という定義上、そもそも私たちがツインレイとして定義するのは『楽園のツインレイ』だとして考えている。または、どちらもがツインレイではない可能性を孕んでいる事実からも目を背けてはならない。(間違えることは悪いことではない、だけど間違え続けることは悪いことだ。間違えたと思ったならばそこで方向転換をすればいいんだが、人は『自分は正しい』と思いこみたい自分への執着があるから、この方向転換がなかなか難しかったりするものである。それが人の性である。)
地上のツインレイとは
地上のツインレイとしているが、事実上は『ツインレイではない』として書かせていただく。
『意識により形成されたツインレイ』が、地上のツインレイである。つまり私たちがこの世で生み出した理想の存在が『地上のツインレイ』である。
意識による交わりあいや意識による繋がりを感じることができる。ほかにも、意識が結ばれるゆえにシンクロニティなども頻発することになる。
肉体的に似ている傷があったり、生年月日なども似ていたりなどもする。この地球の物質的なタイムライン上では『双子』の概念に相応するような存在である。
たとえば『肉体的に似ている』『思考的に似ている』などの『似ている部分が多い双子』と言える。似ているがゆえに、地上のツインレイたちは嫌悪感を高めることにある。
相手の行動、相手の発言。多くのことが気に障るようにもなる。その理由は『似ているから』である。似ている部分の多くに腹を立て、似ている部分のすべてを受け入れることができない。
地上のツインレイとは『私たちが今生にて成立させた異性性』であるゆえに『父親の偶像』でもあり、自分のなかに存在している『意識的なアニマ・アニムス』ともいえる。
地上のツインレイたちは、肉体的なつながりを直ぐ様に持ち、付き合うなどの物質的な感覚をも持っている存在たちだ。ゆえに『別れる』という区切りなども存在しているし、ランナー&チェイサー期間でもつながりなどを持っている。
地上のツインレイとのシンクロニティー、テレパス、肩ごしの未来なども見えたりするが、これはランナー&チェイサーの期間にはいるか否かあたりから生じ、当初から発生するわけではない。
私たちは地上のツインレイを通して『意識によるアニマ・アニムス』を形成させる。この過程を通して、私たちの意識的な——物質的な理想的な存在と対峙するのであり、またそれは自分のなかにある意識的な理想像なのである。
そして私たちはひとつ『意識』が成長する。私たちは、地上のツインレイを通して『意識的な大人』と名目上には成立することになる。
地上のツインレイと最終的に気づくのは『心が繋がれない』ことである。心が繋がれないゆえに地上のツインレイのふたりは離れるのである。
楽園のツインレイとは
前回の地上のツインレイでは心が繋がれないことに気づく。その気づきにより、地上のツインレイたちは離れるわけだが、楽園のツインレイは物質的に繋がれないのである。
なぜならば、楽園のツインレイは無意識により生じているツインレイである。
楽園のツインレイは『無意識から発言する』ような感覚や『無意識で関わっている』ような感覚がする。このとき物質的なつながりはほとんどなく、SNSやネットでのつながりとなる。物質的な繋がりを求めるのではなく、無意識的なつながりを持つために、楽園のツインレイたちは現実的に会うことを特に重要視しない。
楽園と地上のツインレイの対比
地上のツインレイ | 楽園のツインレイ | |
---|---|---|
定義 | 意識 | 無意識(龍体) |
関係性 | 肉体的・物質的 | ネット越し・精神的 |
恋愛観 | 恋 | 愛 |
テレパス | 後半に生じる | 前半に生じる |
死 | 肉体が死にかける | 無意識が死にかける |
変換 | 恋を愛にかえる | 愛を恋にかえる |
関係性 | 一気に燃えて一気に覚める | ゆるやかな鎮火 |
生物 | 人 | タツノオトシゴ |
次元 | 3次元意識 | 4次元意識 |
楽園と地上のツインレイのステージの対比
地上のツインレイと楽園のツインレイのステージの構成だが、どちらも同じように構成しているようだ。地上のツインレイのときはどうだったのかを考えれば、楽園のツインレイのステージは無意識により同じように構成している状態にある。
つまり『同じことを2回やっている』状態にある。着眼される視点が違い、同一なる存在により何度も『同じこと』をやっている。それは次元ごとに違うことをやっている——とも言える。
1次元によるツインレイから5次元によるツインレイが存在し、それぞれ次元を終えていく段階で『運命の人っぽい人』に出会っていく。
次元別にある愛情のカタチ 象徴 心の体現性 マイナスの体現性 0次元 自分 自己愛 エゴイズム 1次元 異性 異性愛 エゴイズム 2次元 他者 博愛 エゴイズム 3次元 意識 愛 エゴイズム 4次元 無意識 心 エゴイズム 5次元 無 無 エゴイズム
- 1次元の異性
- 2次元の他者
- 3次元の意識
- 4次元の無意識
- 5次元の無(神)
すべてのツインレイのステージは『同じ』となっているが、それぞれ、
- 1次元の自己愛(エゴイズム)たる存在のツインレイ
>めちゃくちゃ自己中心的な存在の人 - 2次元の他者を含む存在のツインレイ(ツインソウル)
>不倫とか、相手にはお相手がいるとか、結ばれない理由が他者にある - 3次元の地上のツインレイ
>今まで意識してきた異性により構成される理想的な存在 - 4次元の楽園のツインレイ
>自分のなかに存在する無意識により構成される理想的な存在
それぞれの次元ごとに存在する異性性(アニマ・アニムス)の存在をツインレイとして認識している状態にある。で、すべての異性性と『サイレント期間』を設け、再び再会をする——というような経緯を行っている。(すべて行っている。)
このうちの5次元へ到達することにより『ツインレイ』として定義が出来るのかなと思っている。
- 2次元~3次元・・・前五識(眼・耳・鼻・舌・身)
- 3次元~4次元・・・意識(考えることや心の動き)
- 4次元~5次元・・・末那識(自分に執着している心・迷い)
- 5次元~6次元・・・阿頼耶識(すべての種子)
このうちの5次元~6次元に存在している阿頼耶識が私たちの魂の大元である。
次元 | 八識 | ツインレイ |
---|---|---|
1次元~2次元 | — | エゴイズムの存在のツインレイ |
2次元~3次元 | 前五識 | 不倫的存在のツインレイ |
3次元~4次元 | 意識 | 3次元の地上のツインレイ |
4次元~5次元 | 末那識 | 4次元の楽園のツインレイ |
5次元~6次元 | 阿頼耶識 | ツインレイ |
最終的には『ツインレイ』へ行き着くわけだが、今まで出会ってきた次元ごとの存在のなかで『誰がツインレイなのか』はまた別の話なのである。それぞれのどこに『自分のツインレイ』が配置されているのかがわからないというところ。
で、私の場合は4次元に存在している楽園のツインレイとして定義した存在が『ツインレイ』として認識したわけなんだけど、ほかの次元層で出会っている相手がツインレイだと認識するケースもあるわけである。
つまり最初の初恋の相手がツインレイだった——という着地を見せるケースもある。
だけど、私たちの問題は『誰がツインレイなのか』ではない。自分のなかに『ツインレイを生み出せるのか』がテーマなのである。
すべてのツインレイは『ツインレイを導き出す為』
私たちは次元ごとに『ツインレイ』を認識しているわけで、その存在がどの次元にも存在している。その過程で私たちはひとつひとつ次元ごとに『異性性の設定』を行っている。
1次元の出会いによる自己愛性のカタチ、2次元の出会いによる他者愛性のカタチ、3次元の出会いによる意識のカタチ、4次元の出会いによる無意識のカタチ。どれも今までの私たちにとっての好みを具現化している存在と出会っているのである。
それが自分のなかに存在する異性性であり、それを徐々に次元を上げながら自分にとっての理想を創り上げている状態である。最終的には阿頼耶識に到達するわけだが、この段階でようやく魂の場所へ到達し、魂は『このような人が自分の理性の理想像なのか』と理解する。
そして最後に「理想が提供される」。これがツインレイが導き出される構造にある。
分かりやすい例でよくあげているが、2次元の出会いによる不倫の関係性。これをどう処理するのかはでかい過度期なんじゃないかと思っている。
ひとつ忘れがちな視点なんだが「自分のツインレイは不倫をするような人なのか?」ということと「理想的な人は不倫をする人なのか?」と考えてみてほしいんだ。
まず私のなかで「自分の結婚相手が不倫をするなど言語道断」なわけなんだけど、それを相手に実行させると言うことは『自分の理想は不倫をする人』というカタチでツインレイを形成していくことになる。
つまり人にやられたくないことは自分が人にやらせるなってことでもあるんだ。自分の罪は相手の罪。自分の行動で相手の罪を生み出すことにもつながっている典型例でもある。
そして最終的に5次元領域の存在で『本当のツインレイ』という存在に出会っても「既婚者」ってことに落ち着いて、最終的には結ばれないことになったりもする。なんだこれ? って思うけど、自分の人生の最終的な結論が「ツインレイ」なのである。
私たちが異性に対してどのように接してきたのか、どのような対応をしてきたのか。どのように感じてきたのか。それがすべて自分のアニマ・アニムスを形成し、そのままの具現化がなされるのが「ツインレイ」なのである。
最初のエゴイズムのような存在に対して、そのエゴは間違いだと感じることが出来たのか。
不倫的な存在に対して、不倫は無理だと感じることが出来たのか。
意識的な地上のツインレイの存在に対して、物質的にお金が豊かなだけじゃないと感じることが出来たのか。
無意識的な楽園のツインレイの存在に対して、精神的に繋がれたとしても、それだけじゃダメだと感じることが出来たのか。
別れそのものは『相手に対していかに誠実だったのか』とも言える。このなかで私たちは『善悪』を生み出していくし、その過程で私たちは『異性性』をも育てている。
間違いつづけている自分のなかに存在する異性性を如何に強制させ、如何に育てていくのか——。それは出会いにより構成されているのである。そのなかで、自分が何を感じてきたのか。ただそれだけである。
それは『今に生きる』ということでもあるんだ。ツインレイのことで悩んでいる人の多くが「自分が今、本心で何を感じているのか」を無視して、他者を審判にかけることに一生懸命になって『この人はツインレイなんだろうか』とか「今はどの段階何だろうか」とか「いつ再会するんだろう」とか。
自分以外の『なにか』にかまけて『自分が感じていること』を無視し続けてしまっている人が多いんだ。
ツインレイだとまずはそこで定義されるのであれば、そこで「ツインレイの相手へどのように感じているのかの本音の部分」。たぶん、ここを明確にしなければならない。本音の部分で何かしらのトラブルが起きている。それがサイレント期間を呼び起こしている。
どの次元層のツインレイだとしても、根源的にはすべて『3次元層』にて起きている『今』にシフトしなければならない。今、この瞬間に「何を感じたのか」をちゃんと自覚していかなければ。
そうやって私たちは『アニマ・アニムス』という自分のなかに存在する異性像を構築している。その異性そのものをアップデートしていくと最終的には『ツインレイが体現してくれるよ』ってことなんだ。
ツインレイと出会うまでは『ツインレイを模してくれる存在たち』が、ツインレイに求めているものはこれでいいのかと問いかけてくれている。
5次元ベクトルでのツインレイは自分のなかにいる
5次元ベクトルになってくると、ツインレイは自分のなかに収容されている。男性性が自分のなかに存在している状態になっている状態が5次元の状態にある。両性性の状態を第二サイレント期間では維持し続けていくことになるが、この期間で私たちは何を思い、何を後悔し、何を感じていたんだろうか——。
私は第二サイレント期間で、多くを後悔した。その後悔はふって湧いては悲しみとして暮れ、涙が落ちる。たくさんの後悔は、心が壊れるような感覚でさえ感じられた。
会いたいと思ったときに会いに行けばよかった。時間を待たずと結婚すればよかった。のんびりないてしないで、早くに話を進めればよかった。とても単純なことだった。それさえしてこなかった私を後悔した。好きっていう気持ちを大事にすればよかった。
多くの後悔が私のなかに犇めいていた。その強い後悔は『私のアニムス』に繋がっている。私のアニムスは強く後悔をしていた。
第二サイレント期間で、私は「アニムス」だったのである。私のアニムスは私の後悔である。最後に彼は一筆認めてから消えた。
私は、ツインレイの彼が迎えに来るまでの代理に過ぎない。
(中略)
ツインレイの再会と共に私は消える。蒼という存在のなかに統合されるのである。
あと一ヶ月足らずと統合しきることになる。そのとき私はツインレイの再会を迎えている。私は『蒼』をツインレイの相手に差し出さねばならない。
嫁に出すようなモンである、いつかの成長した自分に。
そうしたらさよならだ。彼の過去の後悔は蒼のなかに生き、過去の彼は蒼のなかで存在し続けることになる。
(中略)
物事には多くの表裏一体性が存在している。離別とは再会である。ゆえに、私は離別を決意し生きていくことになった。
引用:さよなら、ツインレイ
さよなら、ツインレイのkindle。こちらの冒頭には『アニムス』からの言葉がつづられている。私的には「なんだこの意識は?」と思っていたが、私は私のなかに存在していた『アニムスの意識』を切り離したのだと思われる。
今ならば理解が出来る。
私たちのなかには『アニマ・アニムス』という異性性が育つわけだが、私たちは無意識領域を抜け5次元へ到達すると、アニムスとアニマという存在を自らのなかに創造しなくなる。
自己の投影により世界が存在している。私たちのなかにある異性性が投影された異性像が「ツインレイ」になるわけなんだが、それはツインレイだけどツインレイではないわけである。ただの『理想』なのだと思われる。
だけど、私たちのなかには確かに『異性の理想』が生まれ、そのままの体現を第二サイレント期間では実感する。その過程が低次元から高次元にかけての出会いだ。
最終的には、その異性の理想(アニマ・アニムス)はいなくなり、統合されてしまう。そも『ツインレイの相手のなかへ統合』されるようなのである。
さよなら、ツインレイと書かれているが、私のツインレイは『アニムスという偶像』であり、その偶像を投影した存在が『ツインレイ』だと思い込んでいたわけなんだが、そのアニムスという偶像がそっくりそのまま『ツインレイのなかに統合されるよ』って話。
もちろんツインレイの相手からのアニマ像も私のほうへ統合される。それが『無意識体』かもしれない。つまり私は『ツインレイの相手が思っている通りの私』や『ツインレイの相手が持っている後悔』を保有している存在だと言うこと。
ツインレイのふたりが何を後悔し、何を思っていたのか。その後悔を解消するために、ツインレイは存在している状態になる。
つまり、ツインレイたちは『自分の後悔を相手が持っている』状態に組み替え、自分の後悔を解消し、この地上での後悔を解消する方向性へ向かわせる。
この後悔の解消、もはや贖罪のようなものが『ツインレイたちの幸福』に繋がっていくわけである。